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あかつき太郎の町家日記

金沢町家ゲストハウス あかつき屋をめぐる出来事や思い、人とのふれあいなどをつづるブログ。街角の話題や四季折々の風情も紹介していきます。

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ファミリーヒストリー探る金沢旅

あかつき屋のお客様を通じて、昭和史にふれる機会を得ました。金沢で暮らした祖父、そして父の足跡をたどりたいと、アメリカからお越しになったご家族がいらっしゃいました。

神奈川県相模原にご実家がある小原淳子さん(55)ご一家です。小原さんは、あかつき屋に娘さんのえりかさん(29)、そして相模原に暮らすお母様の登美子さん(83)の三人で、こちらに三泊されました。

淳子さんの祖父は小原徳太郎さん(1880~1960)といい、戦前、旧満州(中国東北部)で陸軍軍医大佐として活躍した人です。そのご経歴で出色なのは、ご生前、日本の思想家として著名な徳富蘇峰と交流があったことです。

小原さんは金沢にご滞在中、敬愛する徳太郎さんの面影を求めて、県歴史博物館を訪ねたほか、徳太郎さんの住まいがあった旧銀杏町(現在の桜町)界隈を散策するなど、ファミリーヒストリーを探る旅を繰り広げられました。

(お泊まりになった小原さんご一家。左端はご友人)
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小原さんご一家によると、徳太郎さんは医王山ろくで学校の先生の子供として生まれました。少年期から秀才の誉れ高く、小学校を卒業すると、旧制金沢一中(現金沢泉丘高校)、旧金沢医専などを経て、医師になりました。
戦前は満州に渡り軍医として働いたほか、そこの建国大学で教鞭も執ったそうです。

(戦前軍医だった小原徳太郎さん=ご提供写真)
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(徳富蘇峰記念館に保管されていた徳太郎さんの書簡のコピー)
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戦後は、中国から帰国し、医師としての生涯を送ることになったのですが、徳太郎さんの人生に味わいを加えたのが、徳富蘇峰との交際です。戦中、戦後、徳太郎さんは蘇峰宛てに数多くの書簡を送っており、27通の手紙が現在、神奈川県二宮町の徳富蘇峰記念館に保管されているのです。

登美子さんによると、義父の徳太郎さんは謹厳実直で、堅物な感じの人だったとのこと。ただ、蘇峰との交際については、知らなかったそうです。

淳子さんは日本の大学をご卒業後、アメリカに留学し、そこでアメリカ人男性と結婚、今は米国で暮らしておられます。今回、ご自身の一家の歴史を調査することを思い立ち帰国し、徳富蘇峰記念館を訪れ、さらに金沢にも足を運び、熱心に祖父らの足跡を探られたのでした。

なぜ祖父と蘇峰が交流したかについては、蘇峰記念館の職員の推測では、蘇峰の息子さんが兵士として満州に行き、徳太郎さんが戦地で蘇峰の息子さんを治療したことがきっかけではないか、ということでした。

そして淳子さんは、蘇峰記念館に保存されている徳太郎さんの書簡をコピーさせてもらい、今回の金沢ご滞在中、県歴史博物館を訪ね、その書簡について何が書かれているか、判読してもらおうとしました。
しかし、その書簡の文字が古文書のような、古風な筆遣いのため、県歴博の職員の方もよく読めなかったそうです。

これについては残念なことでしたが、小原さんは、祖父が金沢一中時代に下宿した、八坂そばの松山寺や横山町、材木町界隈も歩き、家族の足跡を探しました。

(小原さんのお父様が通った旧材木町小学校前で)
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その中では、心とらえる場所がいくつかありました。今年三月に閉校になった材木町小学校です。そこは、数年前85歳で他界した父徳寿さんが通った小学校でした。
小原さんら三人は、校門前で感激の表情で記念写真を撮られました。

(加賀友禅会館でお着物体験も)
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今回の金沢旅行では、淳子さんが東京の大学で共に学ばれ、現在は金沢にお住まいのご友人と25年ぶりに再会を果たされ、そのご友人とも金沢観光をされました。
小原さんご一家は、加賀友禅会館も訪れ、お着物体験もされるなど、観光気分も味わわれました。

淳子さんらは「とても有意義な金沢での四日間でした。祖父や父への思いが深まりました」と振り返られました。
皆様ご宿泊ありがとうございました。

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