これは、昔から伝わる地域のお祭りですから、観光客の姿はほとんどなく、住民の方々が、素朴に五穀豊穣と無病息災に感謝する祭礼。派手さはなくとも、その寿ぎ方は、心に染み入るような趣があります。
(祭りの提灯が飾られた椿原神社の参道)

あかつき屋から歩いて数分のところにある扇町の一角では、獅子頭が飾られていました。大きな鼻や歯が目を引く、威厳のある表情のそれは、そばの説明板によると、「加賀藩主前田治脩公に仕えた永田流彫刻の名人沢阜逃石の名作」だそう。
南組の獅子とも記され、現在の賢坂辻交差点をはさんで南北に続く通りの町のもののようです。旧の町名では、材木1、2、3丁目に当たります。
(勇壮な獅子頭が展示された扇町地内)

(扇町の通り)

地元の人の話では、子どもが大勢いた時代、この界隈では、秋祭りに獅子舞の演舞も行われたそう。少子、高齢化とともに、その風習もなくなり、今は、伝統の獅子頭や蚊帳、前垂れ、太刀など獅子舞の装具を展示し、お祭りを祝っているのです。
一方、あかつき屋が加わる町会・御親会では、子ども太鼓の練り歩きがありました。雨の中、いつもなら法被ですが、今回は合羽を着た子どもたちが、元気よく太鼓をたたき、家々を訪ね歩きました。
藩政の時代を感じさせる、重厚な獅子頭や、無心に練り歩く子どもたちの太鼓行列。秋色帯びる街なかで、ほっとするような光景でした。
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