ジャンさんは都市計画を専攻。特に日本の歴史的な街並みを研究対象にされ、城下町金沢にはこれまで再三訪れています。今回の金沢訪問では、あかつき屋でのご宿泊のほか、町家関係の専門家インタビューや町家巡遊のイベントなどにも参加されました。
あかつき屋でのご滞在中、私は近隣にある、こまちなみ天神町保存地区をご案内しました。戦前からの町家や街道が色濃く残る天神町・扇町界隈。そこは、観光地化されず、住民のありのままの暮らしが今も営まれています。
ジャンさんは古い家並みに視線を注ぐ一方、通りのお店の人とも会話しながら、街並みや生活の変遷を感じられました。
(町家について勉強するため、あかつき屋に宿泊されたジャンさん
=写真掲載了解済)

ジャンさんは以前に東京・早稲田大学にも学ばれており、かなり日本に精通しておられます。金沢にも既に五度ほどお越しになっており、細かな地理にもお詳しいのには、驚かされました。
今回の金沢ご訪問では、そんなジャンさんに、これまで訪れたことのない場所を知ってもらおうと、歴史的な家並みが続く、こまちなみ天神町地区を歩いてご紹介しました。
(こまちなみ天神町の通り)


黒い瓦屋根、格子戸や、うだつのある家々。その通りは、観光客が行き来するような喧騒はなく、住民の方々の静かな暮らしが営まれています。
その通りにある魚屋「越吉」さんを訪れました。いつものように、女将さんがお店で忙しそうにしておられました。
女将さんに来意を告げると、女将さんは、昔を思い出しながら、いろいろと話して下さいました。
(天神町界隈の変遷について話して下さった越吉の女将さん)

「私が嫁に来た時は、この通りには、いろんな店があったわ。米屋、桶屋、髪結いのお店もあったんよ。ここでは何でも買えた。繁華街やったわ」。
「繁華街」。今のお店のまばらな様子からは、なかなか想像しにくいのですが、こまちなみが立地する、この街道は、金沢城・兼六園付近につながり、反対側は越中・富山にも通じる道ですから、そうしたにぎわいがあっても何ら不思議ではありません。
それが高度成長期の歩みとともに、郊外の都市化による若年者の転出が進み、さらに少子高齢化も加わり、この界隈も人口減少や住民の方の高齢化が進んでいったのでした。
数十年前は、さぞ活気があったろう。女将さんのおっしゃる「繁華街」だった時代の通りを今一度見たいと思いました。
女将さんは、さらに続けました。
「昔に比べると魚屋さんもずいぶん減った。兼六園の方からこのあたりまで、魚屋の組合に入っていたのは、昔は何十軒もあったのに、今は数軒だけになってしもた」。
そう言って、女将さんは古い組合の名簿を見せて下さいました。
その該当のページには、既に廃業した数多くの魚屋さんの名前に横線が引いてありました。
でも時代の逆風をうけながらも、越吉さんは、意気軒昂。店頭販売や外商(行商)で多くの固定客をもち、自家製のうなぎのかば焼きや色付け、こぬか漬けなどに高い評判を得ているのでした。
こうしたお店の特長についても、ジャンさんにお話しながら、この通りをゆっくりと歩いたのでした。
自営業に携わる者としては、越吉さんのように長年地元に根を張り、多くの人に愛されているお店は、身近なお手本です。
そんな街や人の息遣いを感じながらの、韓国の学生さんとの朝のお散歩でした。
スポンサーサイト