その一つに、横長の額に入った港町の写真があり、これはいったいどこ、金沢の金石?いや、京都の舞鶴じゃないか、いや北海道の函館じゃないか、と様々な意見が飛び交い、現在、謎のままになっています。
(広い天井裏)

この町家は、側面から見ると、大変背丈が高く、2階の上は、明かり窓もあり、天井裏部屋ができるほどの広さがありました。
そこから出てきた額入り3枚組みの写真は、ガラスで表面を保護してありました。私は最初絵画かと見間違ったほどに、表面はセピア色がかっており、レトロな雰囲気がありました。
(見つかった港町の写真を納めた額・全体)

(写真の左側)

(写真の真ん中)

(写真の右側)

ガラスの表面のほこりを手で除いた写真の内容は、船が数多く見えることから、港町であることは間違いなく、その船も商船のほかに、軍艦や帆船も見えました。
港の近くには、駅らしきものが立っており、海際に鉄道が敷かれているようです。
その港には、おしゃれな洋館が点在しています。
古い時代ではありますが、とにかく大変な活気を感じます。
「いったいどこなんや」。期せずしてそこに居合わせた人から言葉が発せられました。
昭和20年代後半生まれという大工さんは「(金沢の)金石じゃないかなー。あの辺は子どもの頃、結構にぎわっていたし」。
しかし、その言葉には、他の人は首をかしげました。洋館があるのは不自然だし、何より港の背後に、丘陵があるのはおかしい。
(有)嶋田工建の社長さんは、軍艦があるのを見て、「(京都の)舞鶴じゃないかな」と言います。「でも、舞鶴の港には行ったことがないんだけど」と、これも心もとない感じです。
建築士の、のりのりさん(山田憲子さん)は「北海道の函館じゃないかしら。海の様子や山の雰囲気からして」と言います。
私は、函館に行ったことはないのですが、のりのりさんの意見を支持したい気持ちです。
というのは、石川県は、藩政時代から北前船の周航の関係で北海道との間で活発な往来がありました。それは明治期まで続いており、私は、そんな様子を伝える北海道の日本海側の港町の写真を以前見たことがあるからです。
この家に昔住んだ方が、仕事の関係で、この港町と関係が深かったのだろうか。そんな推測もしたくなります。
ともかく、物資の遠距離輸送は、船舶に依存した時代、その当時の臨海地区の繁栄を伝える写真であることは、疑いようもありません。
この家の前の持ち主の方は、私と10歳も違わない方なので、おそらくこの写真の詳細について、ご存知ないのではないかと思います。
さて、この写真の場所や時代について、どう解明しようか、私たちは、腕組みしています。
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