兼六園の近隣、小将町にある「地蔵橋子安地蔵尊」です。
祠(ほこら)の前には、きれいな花が供えてあり、地元の人がお世話されていることが分かります。この界隈には、金沢の下町の人情が今も息づいているのが、感じられます。
(きれいな花が供えられている地蔵橋子安地蔵尊)

地蔵尊があるのは、小将町中学校の裏手で、近くには加賀友禅伝統産業会館や玉泉園などがあります。その付近を通るとき、自然とこの地蔵尊が目に留まります。
(地蔵尊の由来書)

地蔵尊の横手には、これの由来を書いた立て札が据えられていました。それによると、こうです。
応長元年(1311年)に、大乗寺の瑩山和尚が現在の小将町に浄住寺というお寺を建てました。しかし、その後大火で、それは焼失したとのこと。
ただ、浄住寺門前の地蔵堂は、祈れば子どもの病気、その他何事も成就するとされ、人々が花を供えて信仰したという。この堂の傍らの橋を地蔵橋と称した、とあります。
藩政の初期には、奥村内膳氏という人の夢枕に地蔵尊が立ち「自分は橋の下にて諸人に踏まれて通る人々を済度する(助ける)」とのお告げがあり、身代わり地蔵として、さらに多くの人々の信仰を得た、そうです。
昭和に入ってからは、多くの信者によって、現在の地蔵橋子安地蔵堂が再建された…、と結ばれています。
いつもきれいな花を供えられ、お地蔵さんは、さぞうれしいことでしょう。
この地蔵尊は、あかつき屋から歩いて10分足らずのところにあります。日ごろから感じることですが、この界隈は、百万石の城下町の伝統か、暮らしている人の間に今も、温かく、濃やかな人情が息づいているようです。
あかつき屋のお客様も、近隣に食事に行ったり、お風呂屋さんに行ったりして、そのようなことをとても感じる、とよくおっしゃいます。
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