細く、薄暗い坂。どこに続く坂だろう。立ち止まって上を眺めていると、近隣に住んでいると思われる男性から声をかけられました。聞けば、その坂、「裏門坂」と言うそうです。
(細く、昼なお暗い「裏門坂」)

私が、この坂に興味をもった雰囲気を漂わせていたのか、その男性はもの慣れた調子で、問わず語りにいろいろと教えて下さいました。
聞けば、この坂は、「裏門坂」と言い、前田家の菩提寺として知られる宝町の宝円寺へと続く坂道だそうです。
宝円寺は以前に小立野から行ったことがありますが、そのふもとからは、こんな坂道から行けるのか。不思議な気持ちになりながら坂を上がって行くと、道々、男性はいろいろと教えて下さいました。
「裏門坂というのは、宝円寺がかつて正門がこちら側(ふもとの扇町側)にあったのが、藩政時代、火事や大雨などの災害により、宝円寺が再建され、正門が馬坂側に移ったそうです。このため、ここが裏側になったため、その名前が付いたんです」
(裏門坂中腹から見下ろす。賢坂辻界隈の家並みと卯辰山が望めます)

さらに男性は話しを続けます。木曽坂がある木曽谷は、深閑とした様子が、信州の木曽に似ているからその名が付いたこと。
またこの裏門坂付近で起こった藩政時代の秘話や、この坂付近は自然が多いことから、ムジナのような小動物が見られることなども説明されました。
そんな話しに素直に頷けるほど、この坂道付近は、身も縮むような神秘さを備えています。よく通る八坂と違って、この坂は両側から木々が坂にせり出し、日の光と視界を遮っています。
外灯が、数カ所に設けられているとはいえ、夜、男でも一人歩きするのには、勇気がいる感じです。
そうこうするうちに坂道を登り切り、さらにその男性の後を付いていくと、墓地群に出ました。そこは、宝円寺の裏手にある墓地だそうです。
(宝円寺の墓地にある前田家ゆかりのお墓)

お寺でありながら、鳥居が続く珍しい一角がありました。なんか、恭しい佇まいです。
男性は、言葉を添えました。
「前田家ゆかりのお墓です。江戸時代までは、そんなことがなかったのですが、鳥居があるのは、明治になって(葬祭が)神式になったからではないでしょうか」。
鳥居は、明治になってから建てられたとの見方があるようです。
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