両日は、かつての尾山御坊(現在の金沢城公園)から伝わる宝物のご開帳もあり、参拝の方々は由緒ある掛け軸などをご覧になりました。
(雪が舞う中、法宝物開帳の御忌が営まれた広済寺さん)

広済寺は、同寺の資料によると1501年(文亀元年)、実如上人の命を受けた江州広済寺(滋賀県近江八幡市)十代厳誓房祐念の二男祐乗が、本山の別院尾山御坊の看坊職(事務の統括責任者・住職代理的な役職)として派遣されたのが始まりです。江州広済寺は、聖徳太子の勅命によって創建され、寺号は経文の「広く衆の危難を済(たす)く」からとられています。
幾たびかの変遷を経て扇町の現在地に移ったのは徳川時代で、寺の建物は戦後建立されています。
この3月の3が日は毎年、蓮如と実如両上人の追悼法要が営まれます。この催しに合わせ、お寺に長年保管されている宝物の開帳(一般公開)もされています。開帳は、ふだん蔵にしまわれている宝物の虫干しの意味もあるそうです。
(ご開帳された宝物の数々)

(実如に似せて描いたとされる阿弥陀如来像)

本堂前面には、年代物の数々の掛け軸や仏像が並べられました。
宝物の中には、阿弥陀如来像の掛け軸もあります。これは、尾山御坊のご本尊とされるもので、少なくとも数百年以上経っているものです。実如上人の顔に似せて描かれているとのことで、如来像は「三方正面」となっています。三方正面というのは、どの方向から見ても、見る人のところに向いているというものです。
如来像の掛け軸の裏書(添え状)も表装されて展示されていました。これも200年以上は経過しているそうです。
ご住職さんらの説教が終わった後、参拝者は宝物の前に歩み出て、掛け軸に記されている文字を拾い読みしながら、500年以上に及ぶお寺の歴史に思いをはせておられました。
この御忌には、ユニークな言い伝えがあります。
尾山御坊にこのお寺があった当時、寺の侍女(女中)おちよぼが朝夕、仏前に供える水を井戸(現在の石川門そばの遺跡「おちよぼが井戸」)から汲んでいました。おちよぼが亡くなった後、おちよぼは、実如の命日に当たるこの御忌に合わせて、ヘビの体になって雲を呼び、雨を降らし、このお寺にやってきておまいりするというのです。
3月1日から3日間の御忌には、必ず天気が悪くなり、雪が降ると伝えられていますが、その伝承の通り、久しぶりの降雪に、お参りの方々は「おちよぼ伝説の通りやなぁ」と妙に納得顔で境内の雪を眺めておられました。
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