その中で、モノクロの古い写真の数々があります。これらを倉庫にしまっていたのですが、この度その中を整理した際、とても貴重なものと思えたので、先日、県歴史博物館(歴博)に持っていき、学芸員の方々に鑑定をお願いしました。
セピア色に変色した写真には、大正時代のものではないかと思われるものもあり、学芸員さんと往時に思いをはせました。
(軍人さんらが整列した古い写真)

古い写真は10点ほどあり、テーブルの上に並べて見てもらいました。その中の一つに軍服姿の男性が幾列かになって整列しているものがあります。写真の隅には、兼六園のそばで撮られたものとの記載があります。
学芸員さんはこれは金沢を拠点とした第9師団第7連隊の集合写真とした上で「大正末期から昭和初期にかけての写真じゃないか」と事もなげに話されました。というのは、軍服の色がまちまちになっているからです。
写真は白黒ですが、色が濃いのが実際は紺色で、薄めのものがカーキ色と学芸員さんは推測されました。
「紺色の制服は日露戦争が終わる頃まで使われ、カーキ色のものは大正末から昭和初期にかけて(兵隊さんが)着用したから」と写真の年代推定の根拠をおっしゃいました。
(歴博で古い写真の数々を見てもらいました)

その写真の中に、民間人らしき人も多数映っています。これについては「当時、地元で徴兵業務に尽力した地域の世話役さんとも考えられる」と想像されました。「その労に感謝する意味での記念写真的なものではないか」と学芸員さんは話されました。
その人たちの表情を見ると、厳粛な中にも、誇らしげにも見えます。
一方で、当時の地元金沢(?)の産業事情が垣間見える写真もありました。織物工場の内部が写され、女工さんたちが大勢働いています。繊維産業は戦前から戦後のかなりの期間まで、石川の基幹産業でしたから、そんな写真があっても何ら不思議ではありません。
そして、その工場を開設するに当たっての建物の上棟式(建ち前)や完成したと考えられる写真も残っていました。また、記念写真や、何人かの人物の写真もあり、学芸員さんは「この人とこの人は同一人物だ」と顔の様子から判断されました。
これだけの歴史資料からは、5W1Hを特定するには遠く及ばず、また歴博さんにおいても、その史料を今必要ということもないとのことで、これらを持ち帰った次第です。
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