一方で、同じ3月29日に、金沢では、得がたい人物が95年の人生の幕を閉じました。金沢和傘の職人松田弘さんです。こちらは、報道によると、老衰だったそうですが、金沢の伝統工芸の一つ、金沢和傘を長年支え、91歳まで現役で働いてこられました。
二人の人物。活動したフィールドは異なりますが、その秀逸な仕事ぶりと、尋常でない仕事への情熱は、私たちの記憶に深く残るものでした。
志村さんは最後は、お笑い界の重鎮として君臨しましたが、私が子供時代、テレビの『8時だよ 全員集合』で、最初‟見習い”として出てきたのを覚えています。その後、『東村山音頭』で大ブレーク。それからの活躍は、言うまでもないことです。
彼の生涯をルポしたNHKの「ファミリーヒストリー」などによると、ドリフターズに入って間もない頃、楽器運びなどの下働きをさせられ、食事では、ドリフのメンバーが食べ終わったラーメンの残り汁をすすって空腹を満たしたこともあった、というエピソードが紹介されていました。
「なにくそ」「今に見ておれ」。そのハングリー精神が、今日の成功の原動力になったようです。彼の笑顔の陰には、火の玉のような熱い魂と底知れない向上心が、あったのでした。
一方、和傘職人だった松田さんの場合は、大業を成し遂げての大往生と言ってもいいのではないでしょうか。和傘職人の二代目として、精進を重ね、雪国の風雪に耐えうる丈夫さと、鮮やかな色あいの和傘を世に送り出したのでした。
実は、私が松田さんを身近に感じることになったのは、営むあかつき屋のお客様が6年前、松田さんのお店を訪ね、松田さんが精魂込めて作った和傘を買って来られるという一件があったからでした。
松田さんは既に高齢ながらも、かくしゃくとそのお客様と応対し、傘づくりのご苦労などを話されたのでした。今思えば、私も松田さんにお会いしておけば良かったと悔やまれます。
しかし、その技は今、三代目の次男・重樹さん(61)に継承されており、金沢の貴重な伝統工芸は輝きを失うことなく、身近に存在することになったのです。
様々な人生が交錯する年度末3月。全く予期しなかった感染病の難題と対峙する毎日ですが、生を燃焼させた二人の人物の訃報に接し、今を悔いなく生きることの大切さを思い知ったことでした。
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