今回、地元の歴史研究者の調査によって、いくつかの貴重な出来事が確認されました。それを踏まえて、3月2、3日に広済寺さんで営まれた伝統行事・「法宝物開帳の御忌(ぎょき)」を利用して、その研究者による調査報告があり、門徒さんらが熱心に聞き入りました。
(広済寺の秘史について語られる中田さん)

法宝物開帳の御忌は、蓮如とこのお寺を開いた実如上人を追悼する催しで、春の到来に合わせて、同寺で継承されている多くの宝物の御開帳も実施されます。長期間蔵にしまわれていた掛け軸などの虫干しも兼ねています。
このお寺の古文書などの調査に当たられたのは、長年、高校の日本史教師を務めた中田隆二さん(62)=金沢市高坂町=で、昨年秋以来、お寺の梵鐘や古文書を通じて新事実を明らかにされました。
(御忌が営まれた広済寺さん山門)

中田さんは、大晦日などに鳴らす鐘については、その表面に加賀の一向一揆の拠点・尾山御坊の時代からの歴史が漢文で刻まれているという事実を突き止めました。これによって、この鐘は滅却処分を寸前で免れました。
また、中田さんが近江八幡のご本家も訪ねて調査した結果によると、戦国武将浅井長政の異母兄弟に当たる近江国の僧侶、岡崎安休が、門徒の指揮をとったこと、さらには後年、このお寺の家紋「三つ葉葵」は、徳川家康から賜ったことなどが、判明しました。
2日に始まった御忌では、中田さんが、こうした貴重な史実を家系図などを配って詳しく説明されました。
門徒の方々は、興味深い逸話の数々に熱心に聞き入り、このお寺に秘められた数々の歴史ドラマに感銘を深くしておられるようでした。
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