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あかつき太郎の町家日記

金沢町家ゲストハウス あかつき屋をめぐる出来事や思い、人とのふれあいなどをつづるブログ。街角の話題や四季折々の風情も紹介していきます。

あかつき屋のホームページはこちらです。

それは それとして…金沢旅行

あかつき屋が兼六園近くでお宿業を営み、約10年が経過しても、お客様を通じて、新たな発見をさせて頂くことがあります。人と地域の歴史や伝統文化が織りなす、邂逅とも言える瞬間でしょうか。

この度、そうしためぐり合わせを経験することになったのは、広島県出身の若者たち三人を通じてでした。若者たちは、本多町にある鈴木大拙館を訪れ、「それは それとして」という言葉を心に留めて、あかつき屋に入って来られたのでした。
コロナ禍が続く中にあって、「それは それとして」金沢の旅を楽しまれたとのこと。こちらも、その言葉が心に深く残りました。

(お客様が、「それは それとして」を記載したお宿ノート)
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若者たちは広島県出身で、高校の同級生だそう。今は、社会人として、あるいは大学院生として、それぞれにご活躍です。

三人が訪れた鈴木大拙館。建築家谷口吉生氏の設計による、洗練された建築美で有名ですが、三人が目に留めて来られたのは、大拙直筆の「それは それとして」というフレーズ。

大拙が、人の相談などにのっていた際、ひと呼吸おいて発した言葉だそうです。
現下のコロナ禍ですが、「それは それとして」、時代環境に合ったライフスタイル、旅の在り方について、若者たちは考えることになったようです。その心境をあかつき屋のお宿ノートに、大拙の肖像画とともに認(したた)められました。

(朝、お庭を楽しまれるお客様)
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(玄関では、南部鉄器の風鈴が心地よい金属音を響かせていました)
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8月末でも止まない猛暑。そうした中にあって、あかつき屋では、玄関前の夏のれんや、お庭などで、お客様には清涼感を味わって頂いています。また、この期間、ソーシャルディスタンスに配慮し、お客様は一日一組限定を実施、コロナ感染対策にも尽力しています。

一泊二日の旅の中から、若者たちが宝物を見つけたかのように、携えてこられた金言。今般の世情の中にあって、ことのほか、心に響く言葉でした。皆様ご宿泊ありがとうございました。

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街歩き 最後は森閑とした松山寺へ

(前回のつづき)
炎天の下で行われた今回の天神町街歩き。最後の目的地は、曹洞宗の古刹・松山寺でした。兼六園のすぐそばの八坂に隣接しています。

一行は金沢市指定文化財に指定され、古色蒼然とした山門をくぐって境内へ。さらにそこには、同じく市指定保存樹の二本のモミの大樹が並立していました。緑に覆われたお寺。一気に涼しくなったように感じました。

(重厚な山門をくぐって、松山寺境内へ)
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川端孝法ご住職の案内で本堂や檀家の位牌などが並んだお部屋などを見学させて頂きました。

ご住職がまずお寺についてご説明。
このお寺は、慶長四年(1599)に横山山城守長知が創建し、長知は父・横山長隆の法号から松山の字を採って寺号を松山寺としました。横山家は江戸時代、幕府から謀反の嫌疑をかけられた際、その疑いを晴らすため奔走して、事態を打開するなどの功績があり、加賀八家の中でも枢要な地位を占めました。

松山寺が、金沢城、兼六園のすぐそばに立地していることからも分かるように、当時、前田家がいかにこのお寺を頼りにしたかが想像できます。

(広々とした本堂に目を見張りました)
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同寺はいわゆる観光寺ではないので、観光客らが本堂で参拝するということはほとんどなく、この日の参加者も初めての訪問となりました。本堂をはじめとして、広々とした室内。静粛さと相まって、一行は外の暑さも忘れ、いっぺんに気持ちが落ち着きました。

(座禅に臨む参加者。貴重な体験となりました)
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訪問中は、座禅堂で座禅を体験。厳粛な気持ちの中で、心を定めました。この座禅は、参加者には好評で、「気持ちが改まり、いい経験でした」との感想が聞かれました。

最後は、兼六園下の中島菓子店の季節の和菓子とお茶でトークタイム。金沢検定受験のための勉強の一環として参加した女性や、地元のことを知りたいとの理由で申し込んだ大学生もいらっしゃり、和気あいあいの時間となりました。

お寺に先立ち、一行は扇町では鮮魚店の越吉さんや、元桶屋の家屋を引き継いだ、りんの一級建築士事務所さんにも立ち寄りました。越吉で買い物された女性もおり、下町の風情を楽しまれたようです。

気温30数度というのは、予想外でしたが、全員体調を崩すことなく、街歩きを終えることができたことは何よりだったと思います。
立ち寄り先やボランティアガイドの紺谷啓さんら関係者の皆様ありがとうございました。心から御礼を申し上げます。

    9月26日(土)も開催予定
なお、この街歩きは、9月26日にも開催されます。参加は無料で、お申込みは、こちらへ。

金沢を再発見 天神町街歩き

金沢再発見市民モニターツアーの一環として、市の「こまちなみ」に指定された天神町界隈の街歩きが29日に実施されました。8月末とは思えぬ強い日差しの下でしたが、参加された方々は、精力的に通りを歩かれ、寺社や史跡、町家などを見聞されました。

この催しの企画・運営に当たった、あかつき屋では、猛暑にもかかわらず、一人も体調を崩すこともなく、無事に終了したことで、スタッフ一同、ほっと胸をなでおろしました。

(椿原天満宮で高井宮司から説明を受ける参加者)
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(歴史的な遺構の石垣も見学)
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金沢市と金沢市観光協会が主催したこのモニターツアー。コロナ禍で観光客が激減した本市の観光の起爆剤にと企画されたものです。

あかつき屋では、兼六園やひがし茶屋街などと違って、ふだん観光客が訪れることが少ない地域でありながら、藩政時代の面影を色濃く残し、今も庶民の暮らしが息づく天神町にスポットを当て、街歩きツアーを企画提案したのでした。
この天神町界隈は、あかつき屋からは、歩いて数分のところにあり、おなじみのところでもあります。

この街歩きは、藩政時代、加賀藩前田家の祈願所で、城郭の鎮守とされた椿原天満宮を皮切りに行いました。この神社は、学問の神様・菅原道真を祭っています。

高井勲宮司が、神社の由緒や境内の各所に配置された史跡などを説明。周辺の樹木の伐採で全容が見ることができるようになった石垣も見学しました。

木立ちに包まれた神社は涼しく、参加者は境内をそぞろ歩き、石段の上部から金沢城も望み、歴史ロマンに浸りました。

この後、地元在住で金沢市観光ボランティアガイドまいどさんの紺谷啓さんに通りを案内してもらいました。

(独特の意匠を備えた町家の家並み)
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強い日差しの下、紺谷さんは、通りの一軒一軒について、「ここは昔、鍛冶屋だった場所」「この家はかつて腕の立つ大工さんがいた」「ここは髪結いさんが住んでいた」などと、熱っぽく語られました。
金沢城から越中・福光方面へと向かう街道筋だった天神町の通り。昭和の高度経済成長期までは「繁華街」と言われた往時が目に浮かぶようでした。

(小路に残る井戸の跡)
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もちろん各家々の佇まいも興味深い物でした。格子戸や、うだつのある造り。瓦屋根の意匠も、様々でした。また、家の傍らには、井戸の跡も見つけることができました。

(馬坂不動尊にも立ち寄りました)
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途中、馬坂に上がり、不動尊に立ち寄りました。湧き水は眼病に効くとの言い伝えがあります。土壁に水が滴り落ちており、一服の清涼剤となる光景でした。
(つづく)

残暑続く 色付けで鋭気養う

残暑が続いています。長かった梅雨時は、夏空を待望したのに、今は少しでも暑さが和らいでほしい、夕立の一つでもあってほしいと、こい願う毎日です。

そんな中では、体調管理に、ひと一倍気を使います。十分な睡眠をとり、適度な運動を行い、そして食事には手を抜かないようにと心がけています。「医食同源」の格言を信じており、この度、食したのは、地元ではお馴染みの魚料理の色付けです。たれがかかり、つややかに光ったそれは、夏バテを解消させてくれるようでした。

(店頭で、お店の人が炭火で魚を焼きます。懐かしい光景)
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(たれがかかり、出来上がった数種類の色付け)
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この日午後、涼を求めて白山ろく鶴来に出かけました。帰り道、立ち寄ったのは、山下鮮魚店山力さん(白山市道法寺町)。店頭でお店の方がお魚を炭火で焼いていました。銀ダラ、スルメイカ、ホタテ、そしてウナギ。見ているだけで、食欲がそそられます。

数品を買い求め、その日の夕食に。おいしく、パワーアップが図られたのは、言うまでもありません。

(飲食店内に配された栗の実)
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その日は、昼食に白山比咩神社そばの飲食店に寄りました。店内には、栗の実を配した生け花がありました。山里には、秋が着実に来ているようです。ほっとする風景でした。

旧盆 この宿ゆかりのご夫妻しのぶ

長かった梅雨が明けると、いきなり猛暑。そして、慌ただしくやってきた旧盆。3年前に実父がこの月に他界したので、ことのほか思い入れの強い月なのですが、今年は、さらにあかつき屋とご縁のある方に対して、冥福を祈ることとなりました。

それは、毎年あかつき屋の上がりの間に飾っている五月人形の購入先であった加藤人形店のご主人夫妻が昨年亡くなったとの知らせをこのほど受けたからです。そのご主人は、私の父と同年配の上、お名前も「清」と同一。このため、加藤さんには、父親のような親愛感を抱いていたのでした。

(昨年他界された加藤さんご夫妻=2014年5月に撮影)
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6年前にそのお店に、あかつき屋のお客様と伺った際、工芸の職人でもある加藤さんは、84歳という、ご高齢にもかかわらず意気軒昂、朗らかに木札に毛筆でお客様のお孫さんのお名前を記されました。この道一筋の人がもつ、自身のお仕事への気概と自負を感じさせるものでした。

その後、ここ5年ほどお会いすることもなく、いかがお過ごしかと思っていたのですが、今月初め、ご主人の次女の方から、加藤さんが昨年2月に亡くなられたこと、そして、その後を追うように、奥様が他界されたとの連絡を頂いたのでした。

あかつき屋に毎年5月に飾っている五月人形は33年前、私どもの長男が生まれたことを祝って翌年、妻の実家が贈ってくれたものです。その人形飾りには、初節句を迎える男の子の名前を記す木札が置いてあり、これを見て、外国のお客様が同様のものを手に入れたいと私にリクエスト。これがきっかけで、加藤人形のご主人と初めてお会いすることになったのでした。

(加藤さんが描いた「鍾馗(しょう き)」のタペストリー。
鍾馗は病魔退散、厄除けの効があるとされ、あかつき屋に掛けてあります。)
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生前ご夫妻は、金沢駅前のマンションに住み、毎日バスでお店のある割出町まで通っていたと、うかがっていました。仲が良く、なんと健康的で素敵な老後。だから、お店の近くを車で通りかかった時は、加藤さんがいらっしゃるのではないかと、お訪ねしたのですが、玄関は閉まったままでした。

今、お二人の訃報に接し、胸中何とも言えない気持ちがあふれました。お仕事を通じて、庶民の暮らしに歓びと彩りをもたらして下さった加藤さんご夫妻。安らかにお眠り下さい。ありがとうございました。