金沢はここ数日、気温が30度前後を推移する気候となっています。梅雨入りを前にして、早くも本格的な夏の到来か。多少戸惑いつつ、あかつき屋の仕事に勤しんでいます。
5月ともお別れ。暦の分岐点に立つ今、この春の日々を振り返ってみました。様々なお客様との出会いがあり、一つひとつ心に残るものでした。
その中で、一篇の小説にもなるような、ドラマチックな半生を送られているお客様との出会いがありました。その方は、葉子さんで、葉子さんは少女時代、ドイツ人女性レナーテさんと文通を始め、その後、その方の弟さんと結婚し、ドイツに暮らすことになったのでした。
今回の日本訪問は、かつての文通相手であり、今は義理のお姉さんとなった二人の女性とともに来日され、ゴールデンウイーク期間中に金沢にお越しになったのでした。
(あかつき屋で朝食を取られる左から葉子さんと、クリステルさん、レナーテさん
=写真掲載了解済)

あかつき屋において、外国からのお客様は特に珍しいことではないので、普段通りにお世話させて頂いたのですが、葉子さんの口からご一緒されているドイツ人女性レナーテさんについて「50年前の文通の相手なんですよ」とおっしゃったのには、びっくり。いやがうえにも今日に至るまでの顛末を知りたくなり、葉子さんにお願いしたところ、快く(?)事の次第を教えて下さったのでした。
今から50年ほど前、葉子さんが高校一年生くらいの頃、葉子さんは外国にあこがれ、ドイツの事情に明るいお父様のつてで同い年のドイツ人女性と文通することになったのです。そのお相手がレナーテさんでした。
こうした文通というのは、いつか知らずしらずのうちに途切れ、終わったりするものですが、お二人の場合、「忘れた頃にまた手紙が来たり、こちらも返事を出す、というふうに、結構長く続いた」(葉子さん)そうです。
そんな交流により、葉子さんは、いつかドイツへ行けるのではないかとの思いから、大学は独文科へ進まれました。渡独された、葉子さんのお父様を介して、レナーテさんご一家の様子も分かり、葉子さんは一層レナーテさんへの親近感とともに、ドイツへの思いを募らせたのでした。
葉子さんは大学を卒業された1972年に渡独し、ボン大学の独文科に留学されたのでした。そうなればレナーテさんとの距離はさらに縮まり、彼女のご一家とも親しくなりました。
そして、知り合ったのがレナーテさんの一つ下の弟さんのヴォルフガンクさんでした。その後、夫になる人です。
(葉子さんと夫のヴォルフガンクさん=ご提供写真)

お二人の交際は順調だったようですが、1970年代、国際結婚となると今ほどポピュラーでないため、葉子さんはご実家との間で曲折もあったようですが、1976年にめでたくゴールイン。
今では二人の子供さんに加え、二人のお孫さんにも恵まれ、幸せな毎日を送っておられます。
(息子さんの暁雄さんと彼女のサーラさん=ご提供写真)

(娘さんの雪さんと夫のペーターさんと二人のお孫さん=同)

そんな葉子さんですが、ドイツでは現役のキャリアウーマンで、翻訳のお仕事に毎日忙しくしておられるとのこと。
今回の日本訪問は、レナーテさんと、その一つ年上のお姉さんクリステルさんを伴ってのものでした。
義理のお姉さんにとっては初めての日本で、葉子さんにとっては、いろいろと気を遣うところもあったのではないかと拝察しています。
金沢のご宿泊先として選んで頂いたこのあかつき屋。事前には、ドイツの(義理の)お姉さんとともにお越しになるとはうかがっていましたが、背後にこんな物語があるとは、びっくり。
ご宿泊中は、ゆっくりとお過ごしになり、この町家の魅力を満喫されたようでした。朝は近くの喫茶店からモーニングセットを出前してもらい、お庭を楽しみながら、お食事されました。
一期一会。日々気を緩めることなく、お客様と相対しているつもりですが、このようなお客様と出会いますと、震えるような心持ちになり、一段と身が引き締まります。
金沢・あかつき屋での時間が、お客様にとって、最良の時になるよう、一層精進したいと思います。
葉子さん、貴重なお話本当にありがとうございました。
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日常的によくあることですが、こんなお客様があかつき屋にお越しになると、うれしくなります。いらっしゃったのは、台湾のインテリアデザイナーのグループと、栃木県栃木市内で古民家の保全や利活用に当たっている男性らです。いずれの方も、建築物に大変興味をもっておられる人たちです。
ご宿泊中、あかつき屋では建物の細部にまで視線を注がれ、金沢市内では、歴史的な町並みを熱心に見て回られました。こちらには、内容のあるご質問もされるので、可能な限りお答えしました。
(台湾=右から二人と左から二人=と栃木からのお客様が集ったご朝食)

台湾からのお客様はインテリアデザインを仕事とされている女性4人で、こちらで2泊されました。東京を皮切りに、鎌倉、信州・松本、白川郷を訪れ、そして金沢に入られました。
本格的な夏の到来を思わせるような夏の日差しの下、茶屋街や兼六園、そして21世紀美術館などを精力的に回られました。
今朝は、町家など古い建物が点在する材木町のパン屋森長さんまでの道のりを私が案内役となって歩いて行き来しました。
お客様は「古い建物がしっかり守られていることは、素晴らしいことですね」と感想を述べられました。一方、21世紀美術館については、「軽やかな雰囲気で、透明感と清潔感がありますね」と感心されていました。
次の目的地・加賀山中温泉へと向かう今朝、お宿ノートにこれまでの旅の行程を示す記録を楽しいイラストつきで描いていかれました。
(台湾のお客様がお宿ノートに描かれた旅の記録)

一方の栃木からのご夫妻のお客様。ご主人が蔵の街・栃木で古民家の再生や利活用の活動に当たっておられます。昨晩は、ゲストハウスとしてのあかつき屋の特長や運営などについて熱心に質問されました。
「皆様この度のご宿泊ありがとうございました。どうぞまた遊びに来て下さいね」
風薫り、緑輝く五月。この心地良い季節に、三重県からあかつき屋にバイクでやって来られたお客様の若者二人がいらっしゃいました。
昨日早朝に三重県内をオートバイで出発し、能登半島を輪島まで北上。そこで折り返し金沢に戻られあかつき屋に一泊されました。
「能登は景色も良く、最高のツーリングになりました。絶対また来ます」とお二人は今朝、弾む声で話し、あかつき屋を後にされました。
(バイクで能登をツーリングされたお客様)

お二人は三重県桑名市内の高校の同級生で、高校時代ともにバスケットボールで汗を流したお友達です。バイクツーリングを共通の趣味とし、あちこちに出かけておられるようです。
石川県を縦断する旅となった今回は、前日午前5時頃に桑名市内を出発し、能登・志賀町地内に到着したのはお昼頃。およそ7時間バイクのハンドルを握っていたことになります。でも、バスケで鍛えた心身を備えているとあって、難行でもなかったようです。
(世界一長いベンチ=お客様ご提供写真、以下同じ)

(トトロの岩)

(輪島・千枚田)

(羽咋・千里浜)

志賀町(旧富来町)では、海岸で「世界一長いベンチ」でくつろぎ、その後、北上、海辺で「トトロの岩」と遭遇。さらに走り輪島・千枚田に到着しました。
日は傾き始めた時で、眼下の日本海には、太陽の「黄金の道」ができていたそうです。
そこでターンし、金沢に向かわれました。午後8時過ぎにあかつき屋に到着。近所のお寿司のまるよしさんで夕食を取られ、帰り道に温泉銭湯に入って来られました。
(能登で食べた海鮮丼)

(ゴーゴーカレー金沢本店・田上店さんで食べたカレー)

お二人はご当地グルメもご堪能、旧富来町の国道沿いの飲食店「満升」さんで海鮮丼に舌鼓、金沢では金沢カレーブームの火付け役となったゴーゴーカレー金沢本店・田上店さんで、ロースカツカレーを楽しまれたのでした。
「ご飯屋さんやお風呂屋さんなどで、金沢の下町の人情にもふれました。石川県最高!」とお二人は声をそろえられました。「また来ますので元気でいて下さい」と話され、再びバイクにまたがり、軽快に出発されました。
21日はお客様をお送りした後、午後からはお休みとさせて頂きました。加賀白山の山里で友人らと旧交を温める会があったからです。
白山ろくのお宿で一夜を過ごして迎えた朝。国道157号そばを流れる手取川。そこは、ダイナミックな景観で知られる手取峡谷が、続いています。川に架かる不老橋でしばしの時を過ごしました。
(不老橋から望む手取峡谷。
上の写真が上流。下のそれは下流の風景)

久しぶりに見る渓谷美。肌寒さが残る気温によるものか、上方には、靄とも雲ともつかぬガスがかかっています。川の水は、前日の雨のせいか、水量は多めで、ところどころで白い水しぶきがたっています。
そんな中で、季節感を強く感じるのは、渓谷を覆い尽くすほどに広がる新緑。その葉の勢いと光沢は、日本三名山の一つ白山のふもとにも、確かに夏がやってきていることを感じさせます。
(田植えを終えた水田。水面に山が映っています)

不老橋を渡って、鳥越地区側に出ました。そこには、広々とした水田が広がっています。
既に田植えが終わり、田には、早苗が整然と並んでいます。
よく見ると、田んぼに張られた水には、山の姿が映っています。
すごく静か。とても静か。
久しぶりにいただいた休日。
大自然は、慌しい日常で昂ぶった心身を鎮め、姿勢を整えてくれるようでもありました。
この度あかつき屋にウイークデイにお泊まりになったお客様。大阪からの女性のお二人連れです。ゴールデンウイークまでお仕事で忙しかったとのことで、お休みを合わせて金沢にお越しになりました。
昨日サンダーバードで金沢駅に到着された後、忍者寺(妙立寺)を皮切りに21世紀美術館を見学され、ひがし茶屋街へ足を運ばれました。
(あかつき屋に宿泊されたようこさんとゆりさん=写真掲載了解済)

茶屋街に着いた時は、夕暮れ時。あいにくお店はほとんど閉まっていましたが、古い街並みはとても風情があったとのこと。写真を愛好されているお二人は、伝統的な建造物のほか、石畳や趣のある街灯などにカメラのレンズを向けられました。
(夕暮れ時のひがし茶屋街。百万石まつりの提灯が軒下に並んでいました
=お客様ご提供写真、以下同じ)

(街灯もレトロな趣があります)

軒下には、いくつも提灯が連なっています。6月6日から金沢で開催される百万石まつりを告知する提灯です。暮れなずむ街に赤いそれらは、ひと際鮮やかです。
「来た時は時間が遅かったせいで、お店は開いてませんでしたが、こんな静かな街並みもいいものですね」。お二人は、思いがけず城下町金沢の落ち着いた風景に出会い、満足されたようでした。
茶屋街からあかつき屋まで、歩いて帰られました。途中、梅の橋に足を止めました。灯りに照らされたその木の橋はとても幻想的。迷わずカメラのシャッターを切られたそうです。
(灯りに照らされ幻想的な梅の橋)

童心に帰って、浅ノ川の川の中に入ってみたそうです。水の中で小さい生き物が、動いています。「何これ!?」。よく見るとそれは、おたまじゃくしでした。思わず手ですくってみました。「おたまじゃくしには、足が生えていたんですよ」。お二人は、笑ってその時のことを話して下さいました。
(川に入って、おたまじゃくしを見つけました)

初夏の夜。城下町金沢は、旅人に数多くの発見やときめきを与えてくれたようでした。
この週末、台湾の建築家との出会いがありました。台湾・台南市で建築事務所を営む建築家のお客様があかつき屋を全室貸切で二泊されたのでした。
国登録有形文化財のあかつき屋のほか、金沢の街のあちこちに建つ古い建物に興味を示され、精力的に街を回られました。金沢にご滞在中、天候が良かったこともあり、お客様にとっては、有意義な金沢ステイになったようでした。
(あかつき屋で朝食を楽しまれる台湾のお客様=写真掲載了解済)

(お客様は思い思いに過ごされました
=ご提供写真)

ご一行様は、張さん(代表者)とデザイナーの従業員やご家族の皆様。あかつき屋の近くの兼六園では、お茶室のある時雨亭などに興味を示され、また、水辺で見頃となったカキツバタをも楽しまれました。
兼六園を散策後、いくつかのグループに分かれて街をご探訪、21世紀美術館や鈴木大拙館、近江町市場、ひがし茶屋街などに足を運ばれました。
(兼六園のせせらぎでは、カキツバタが見頃を迎えていました)

途中、あちこちで古い町家をもご見学。その様式美に感心されながらも、中には空き家になっている建物もあり、「困った問題ですね。(母国の)台南市でも同じ問題があります」と話されました。
「金沢は、古い素敵な建物が数多くあり、一週間ほど滞在しないといけないですね」と張さんらは話されました。ぜひまたお越し下さい。
ありがとうございました。
あかつき屋のお客様が観光に出かけられた後、天気が良いこともあって、外出しました。訪れたのは、本多町にある鈴木大拙館。静かに時を過ごすにはうってつけなので、久しぶりに訪問しました。
金沢はこの日は、朝から快晴。大拙館は、五月の空の下、周囲の緑はまぶしく、水鏡の庭に満ちる水は、涼しげ。五月の自然の恵みを金沢が生んだ世界的な宗教哲学者の美術館で享受しました。
(五月の空と緑に包まれた鈴木大拙館。水鏡の庭にて)


大拙館は高名な建築家谷口吉生氏が設計した、斬新な建築物であることから、建築やデザインなどを仕事とするあかつき屋のお客様はよく訪れています。同館では現在、企画展「大拙つれづれ草」が開催されていることもあって、足を運びました。
晴れわたる空の下、シャープな外観の大拙館は、視界に鮮烈な印象を与えます。思索をするというよりは、散策を楽しむというスタンスで各部屋を回りました。
(企画展「大拙つれづれ草」の展示物)

開催中の企画展「大拙つれづれ草」。会場には大拙の数々の随筆を収めた著書や新聞の連載記事が紹介されていました。生前、思索の傍ら、変動する社会や世界の動向とも向き合った大拙の姿を垣間見ました。
ゴールデンウイークが過ぎ、金沢はここ数日、初夏の気配が感じられます。そんな中で、あかつき屋のお庭は一層緑が濃くなり、鮮やかさをましています。
冬が過ぎて暖かくなると、あかつき屋ではお庭に面した引き戸を開け放ち、お庭を望む縁側とお座敷を開放しています。お部屋からは新緑が楽しめるとともに、清々しい空気も入り込み、そこにいるだけで心地よい。
朝の時間、お客様の中には、縁側に腰を下ろし、お庭をスケッチされる方もいらっしゃいます。そばで絵筆を走らせられる姿を拝見するのは、うれしいものです。
(お庭をスケッチされるお客様
=写真掲載了解済)

今朝、お庭を見ながらゆったりとした時間を過ごされたのは、タイからのご家族連れ。ご両親と小学生の息子さんです。
(あかつき屋にお泊まりになったタイからのお客様)

(お宿ノートに楽しい絵やコメントを残されました)

ご両親は、ともにデザイナーで、あかつき屋のお宿ノートに数々の楽しい絵が描かれているのをご覧になり、触発もされたよう。
パパは朝食を終えて、縁側に座り、熱心にペンを走らせておられました。描かれたのは、灯篭を中心にした風景でした。和の風情漂う、味わい深い絵でした。
その後、そのノートには、ママが自分たちファミリーの絵、息子さんは東京から金沢に来る際、越後湯沢まで乗ってきた新幹線の絵を描かれました。
ご家族にとって、あかつき屋でのご滞在が、潤いと安らぎの時間にもなったようで、うれしく思いました。
(前回のつづき)
あかつき屋にご宿泊中のオーストラリアからのお客様のリクエストにこたえるため、26年ぶりに加藤人形店さん(金沢市割出町)を訪れた私。図らずもそのお店の84歳になるご主人から、いろいろとお話をうかがう機会を得ました。
ご主人の加藤清さんは、オーストラリアからお越しになったケイティさんの三人のお孫さん用の名札に、それぞれの名前と生年月日を毛筆で書き上げた後、問わず語りにご自身のお仕事のことや、店のことなどを話して下さいました。
(木の板に毛筆で名前を記す加藤さん。生粋の職人さんです)

このお店は、三月の桃の節句には、ひな人形、五月の端午の節句の時季に向けては、武者人形を販売されています。そうした中で、加藤さんは経営者としてのお立場のほかに、職人さんの顔もあり、先述の人形とセットとなる木の名札に名前を書くお仕事に当たられる一方、絵師として色紙や壁掛けなどに武者や童女などの絵を描いておられます。
私たちの今回の訪問では、木の名札を求めるものだったのですが、話が加藤さんの絵の仕事にまで広がったこともあって、加藤さんは、時代装束をまとった人物を描いた壁掛けを極めて良心的なお値段で譲って下さったのでした。
(加藤さんが描いた絵を収めた壁掛けを手に持つ加藤さん・左とピーターさん)

加藤さんは私たちが、そのお仕事について興味を示したこともあってか、朴訥とお店のご商売のことなどを語って下さいました。
「昔ほど(五月)人形は売れんようになってね」。加藤さんは、ちょっぴりさみしそうにおっしゃいました。少子化の影響もあるのでしょうが、それよりライフスタイルの変化や、豪華な武者人形などは、昨今の住宅事情に合わなくなったことが、理由としてあるようです。
さらに大きな課題があります。後継者の問題です。加藤さんには、二人の子供さんがいらっしゃいますが、いずれも女性で既に嫁いでいらっしゃるそうです。
長年地道に営んできたお店を今後どうするか、岐路に差し掛かっているとも言えるようです。
でも、私たちは、加藤さんの来し方をうかがっていると、そのご商売は絶えることなく、これからも続いていってほしいと願わずにはいられませんでした。
聞けば、加藤さんのおうちは、代々職人さんをしてこられているのでした。ご先祖は傘職人、お父さんの代では、染め物のお仕事をなさってこられたのでした。
(豪華な武者人形を背後にしてお話しされる加藤さん)

そんな手仕事職人の気風は今の加藤さんからも十分感じられるもので、木の板に名前を毛筆で書いているご様子は、真剣な中にもどこか楽しそうにも見えました。
色紙などに描かれた絵も、おおらかで明るく、見ていて楽しい気分になりました。
ただ、この世界もご多聞に漏れず、機械化の波にも翻弄されているのでした。木の名札に記す名前などは、現在手書きすることはほとんどなく、コンピューターなどでこぎれいに記す時代になったのでした。その台もプラスチックを使ったモダンなものにとって変わりました。
長年日々こつこつとお仕事されてきた加藤さん。その生粋の職人さんが26年前に、名札に精魂込めて書き上げた息子の名前が、今いっそう存在感をもって見えました。
お宿業を営んでいると、時として思いがけないドラマが生まれることがあります。先のゴールデンウイーク(GW)では、お客様とのやりとりから、全く予期せぬ人と出会うことになり、身も心も熱くなったのでした。
それは、あかつき屋の上がりの間に飾っている五月人形がきっかけとなり、それを販売している人形店(金沢市内)の84歳になるご主人とお会いすることになったのでした。五月人形の武者人形の台座には、私どもの長男の名前を記した名札を置いており、毛筆でその名をしたためた人が、人形店のご主人加藤清さんだったのです。
五月人形をそのお店で求めて以来、26年が経過して初めてその店のご主人とお会いし、その方が息子「光太郎」の名前を達筆で書いた人と分かったのでした。
何というめぐりあわせ。その数奇な顛末に私たちは深く感じ入りました。
(あかつき屋に飾っている五月人形。
右下には、息子の名前を記した名札)

その物語は、ゴールデンウイーク半ばから1週間の予定でここにお泊まりのオーストラリアのカップルのお客様が端緒となりました。
5月7日の朝、お二人が五月人形の前から私を呼びました。「これと同じ名札を手に入れたいのですが、どうすればいいのでしょうか。手伝ってくれませんか」。
思いがけないお尋ねです。五月人形は、26年前に妻の実家の母が、長男の誕生祝いに買って下さったもので、その木でできた名札は、私の長男の名前が記され、後ろのねじ回しをひねると、オルゴールが鳴り、「こいのぼり」の歌が流れる仕組みになっているのです。
毎年端午の節句の前には、上がりの間に飾り、お客様に楽しんで頂いています。お話をうかがうと、そのカップルの女性パートナーのケイティさんが、オーストラリアに住む三人のお孫さんに上げるために、これと同種の名札が欲しいというのでした。
名札は五月人形とセットとなっているもので、名札だけを単体で求めるなんて、ちょっと聞いたことのない話。そんなことが可能だろうか、といぶかしく思いました。
とにかく、その人形店に行ってみよう、と私は思い、偶然にも思い出したそのお店「加藤人形店」の位置をネットで調べ、お二人をマイカーに乗せ、金沢駅西の割出町にあるそのお店へ向かいました。
(26年ぶりに訪問した加藤人形店)

少し迷いましたが、20分余り走って、そのお店に着きました。「ごめん下さい」。私は先に玄関に入りました。
中から、ご年配の男の人が出てきました。私は、持ってきた息子の名前が書いてあるその名札を出し、「これと同じものが欲しいのですが」と、その方に言いました。
「これは、わしが書いたもんや」。その男性は即座におっしゃり、その方は、このお店のご主人であることが分かりました。
ご主人は今からちょうど26年前に、ここで息子の初節句の祝いで武者人形を買い求めた際、その名札に毛筆で息子の名前を力のこもった筆遣いで書いて下さったのでした。
今回は、私の関係でなく、お宿のお客さんのリクエストでここに伺ったことを伝えました。そして、同行したケイティさんは、三人のお孫さんの名前と生年月日をメモ書きした三枚の付箋をご主人に差し出しました。
ご主人は私たちの来訪に最初少し驚いたご様子でしたが、来意を理解されると、早速墨を摺り始められました。
(力のこもった筆遣いで名前を書かれるご主人)

ただ肝心の木の名札については、最近使わなくなったとのことで、数がそろうか心配されましたが、奥様も一緒に探して下さって数をそろえられました。
二人の男の子用には、「こいのぼり」の歌が入った名札、一人の女の子用には「うれしいひなまつり」の歌が入ったものを使って、その表面にご主人は筆で力を込めて、それぞれの名前を書き上げられました。
ケイティさんは、中国系の人で、三人のお孫さんには、それぞれ中国名があり、無垢の木板には、漢字で名前が書かれました。
「最近(筆で名札に)書かんようになってなー」とご主人は、その出来栄えについては、謙遜するような口ぶりでしたが、どうして、どうして、心のこもった立派な書きぶりでした。
(出来上がった名札を前に記念写真を撮りました。
手前右側二人がオーストラリアのカップル。
手前左がお店のご主人。後ろに奥様)

ケイティさん、そのパートナーのピーターさん、そして私は、その出来栄えに大いに満足しました。
その後、ご主人と奥様を交えて、出来上がった名札を前にして記念写真を撮りました。(つづく)
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