今日は朝方放射冷却現象で厳しい冷え込みになったものの、そのせいでにっちゅうは青空が広がりました。
晴れ渡った空を見ていると、家の中にいるのがもったいない気がして、昼頃に外出、近江町市場に足を延ばしました。
魚市場の休み明けとあって、お魚屋さんの店頭はにぎやか。その中で、白子の付いたタラが目に留まり、一皿買いました。新鮮なタラはその夜、早速タラ鍋にしました。タラ鍋は初挑戦でしたが、けっこうおいしく出来上がり、これで残りわずかになった冬も元気に乗り切れると、満足しました。
(近江町市場で買ったタラでタラ鍋を作りました)

近江町の魚屋さんの店頭には、足を動かしているズワイガニやコウバコガニ、ハタハタなどが数多く並んでいましたが、タラがなぜかしら心惹かれました。
「今年は、タラ、とりわけおいしい白子をしっかり食べていないんではないか」。そんな思いがして、一皿買いました。
お店のおじさんは「鍋にするんだったら、白子は最後に入れて下さいね。形が崩れませんから」。
そのアドバイスを胸にして、帰路につきました。
実は、タラ鍋は作ったことがありません。早速ネットからその作り方をプリントアウトし、キッチンの手元に置きました。
そのレシピには、タケノコが入っていたものの、冷蔵庫にはなかったので、野菜類はネギ、大根、エリンゲで済ませました。
材料を切ったり、ゆでたり、そして煮たりで一時間余りかかったでしょうか。タラ鍋は出来上がりました。
タラの身もさることながら、肝のおいしいこと。口にしたとたん「これが食べたかったんだ」と、心の中で歓声を上げました。調理では、タラの身を熱湯にくぐらせ、氷水に浸すなどの霜降りをしたせいか、タラは臭みがなく、すっきりとしたおいしさでした。
白子もおいしかったのですが、お店のおじさんのアドバイスを忘れて、早い段階で白子を鍋に入れてしまったために、やや形が崩れてしまいましたが、これもご愛きょう。
とにかく、体もあたたまり、おいしかった。これで、あとわずかになった冬を元気一杯に乗り切れそうです。
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この冬最大級の寒波であることには、間違いないようです。夜来の雪、朝の雪、昼間の雪と、ほぼ休みなく雪が降り、あかつき屋では、スノーダンプなどを使って家回りの除雪に精を出しました。寒さでアスファルトに張り付いている雪があるため、それをはがすのに一苦労。
毎年のことながら、もっとうまい方法がないものかと思いながらの作業となりました。
でも、この寒さは、お餅屋さんでは、待ち望んだ気候。近所の山本観音堂さんでは、この時を逃してはなるまいとばかりに、懸命にかき餅作りに当たっておられました。
(近所の人たちで除雪されたあかつき屋の前の小道。兼六園へと続きます)

今日は、青空がのぞいた時間を見計らったように、近所の人たちが家の前に出て、雪かきを始められました。私も歩調を合わすように、スノーダンプで雪を側溝へと運んだり、鉄製のスコップでアスファルトに硬く張り付いた雪を除く作業に勤しみました。
ここ数日日射しが強くなってきているので、「こんな作業も、あとわずかかな」と願いながら。
山本観音堂さんでは、寒はかきもち作りの最盛期。今日は朝から餅米をせいろで蒸し、蒸し上がったそれを餅つき機でつき、とぼの木枠で型をとる作業に忙しくされていました。
(つき上がったお餅は、かき餅にするために木枠に入れられます)

(かき餅サイズに切られたお餅。天井から吊るして乾燥させるため、次に麻縄で編まれます)

一年で最も寒くなる今の時季は、雑菌が繁殖しにくく、水がきれいなので、かき餅作りには最適なのだそうです。せいろから湯気が上がり、餅つき機の規則正しい音が響く作業場の中で、女将さんが「つきたてのお餅を食べてみませんか」と言われるので、お言葉に甘えました。
「体があたたまるほどに、ホカホカのお餅。すごくおいしい」。なぜつき立ては、こんなにまでおいしいのだろう。
とても身近にあるお米を改めて見直すことに。複雑なことをしなくても、おいしく頂けるのだとも感じました。
この冬最大級との冠が付けられた寒波がやって来た北陸・金沢。天気予報の通り、雪が終日降りました。それでも雪が収まる時があり、その間は、明るい日差しが注ぎました。それは思いのほか、力強く感じられました。
昼近くに、あかつき屋から歩いて金沢21世紀美術館を訪れました。定例になっている友人らグループとの集いに出席するためです。
カフェ・Fusion21でコーヒーとケーキを頂きながらの心おきないおしゃべり。窓外に広がる白銀の世界は、心地よいものでした。
(降り積もった雪で白銀の中にある金沢21世紀美術館)

(明るい日差しが注ぎ、人の足取りも軽やかに見えます)

テレビでここ数日流される天気に関するニュースは、今冬一番の寒波が日本海側にやって来て、北陸は80㌢ほどの降雪が予想されるというものです。
でも、北陸全域がそうではなく、金沢などは10㌢足らずの積雪で収まったようです。猛吹雪に街が包まれるような風景が、ニュースで報じられると、遠方の人は金沢もそうなのかと思われるかもしれませんが、実際はそうではなく、金沢の人たちは、毎年のこととして、あわてるふうもなく、落ち着いて雪と向かい合っています。
今日は、友人らとの集まりがあるので、お宿の仕事の合間を縫って、21世紀美術館へ出かけました。メンバーとは、昨年末に開いた忘年会以来。皆、元気そうでした。
(友らと語らった21世紀美術館カフェでの集い)

お茶をしながら、今回は「今年の抱負」と題して、それぞれに近況を交えた思いを語りました。仕事のこと、親のこと、趣味の読書のこと、ダイエットのこと等々。
そんなおしゃべりは心が晴れ、刺激を受けることも多々。
窓外は降り続いた雪で純白の世界。時折青空が広がり、そこは空以上に明るく、まぶしいほどでした。雪が激しく降る時は、恨めしくなることもありますが、こんな日差しを浴びると、心が軽くなり、春は遠くないのでは、と思ってしまいます。
あかつき屋にタイからお母様と二人の娘さんが連泊されています。タイでも歴史と伝統の趣が漂う街として知られる百万石の城下町金沢。
三人のお客様は、あかつき屋に同宿された日本人のご夫婦とふれあわれたり、金沢の食を味わわれたりと、北国での休日を満喫されています。
タイからのお客様は昨日、飛騨高山から金沢入りされました。その日、あかつき屋に同宿された神奈川県からのお客様とふれあわれました。
(今朝歓談されるタイからのお客様=左側3人=と神奈川県からのお客様
=写真掲載了解済)

あかつき屋ではお正月は、チェックインされたお客様に金沢の伝統の和菓子・辻占をお出ししています。タイのお客様は、その花びら状のお菓子を開いて、中に小さく丸めてある紙を取り出して、広げられました。そこには「願いがかなう」などと記されているのですが、読み取れません。そばにいらっしゃった神奈川県からのご夫妻が意味をご説明、その意味が分かると歓声を上げておられました。
タイのご家族、金沢ならではの食にも大いに関心を示されました。今日のお昼は、片町の8番ラーメンに入ったとのことでした。
娘さんのナンタさんは「タイには、8番ラーメンのお店がたくさんあります。お昼に食べたラーメンは、タイの8番ラーメンと同じ味でした」と満足そうでした。
「でもタイの8番ラーメンのお店には、タイならではのスパイシーなメニューもあります」と紹介されました。
私が「8番ラーメンは、石川県で生まれたんですよ」と話すと、ナンタさんは、とても驚いておられました。
(片町のおでん屋さんで過ごされるタイからのお客様)

今夜は金沢おでんが食べたいということで、片町のおでん屋さんへ行かれました。大根やがんも、ごぼ天、かまぼこ、いわしのつみれなどを注文されました。
外は寒い北国の金沢。「おいしかったし、体が温まった」と満足されたご様子でした。
一年で最も気温が低くなる「大寒」。この時季がもってこいであると、ある作業をされる職人さんがいらっしゃいます。
金沢市菊川町の瀬田表具店さんでは、毎日の仕事で使う「水」を大量に水道から汲み、備蓄されているのです。
「寒の水は腐らず、長持ちするんやは。この仕事には欠かせません」と瀬田さんは2㍑入りのペットボトルに60本ほど水を蓄えられました。
(寒の水をペットボトルに蓄えられた瀬田さん)
瀬田表具店さんは、金沢町家であるあかつき屋が2年余り前、開業前のリニューアルに当たって、障子やふすまなどを張り替えてもらったところ。
その際、表具屋さんの仕事などをいろいろと教えてもらいました。
(表具の作業で使う糊。水は重要です)

表具屋さんはふだん、障子やふすまの張替え、掛け軸の修復などを行っていますが、その作業では、決まって糊(のり)を使います。その糊を溶かすのが水で、糊の粘り気をちょうど良い具合にするには、水は重要になってきます。貼る物によって、糊の濃さが異なり、その調整をするのが、水です。
「腐った水を使うと、糊がべちゃべちゃになり、紙にくっつかなくなる」と瀬田さん。その点、寒の水は腐らず(雑菌が繁殖せず)、とても仕事がしやすいのだそうです。
そして、仕事の要となる水は、大寒の頃に水道水から一気に汲み上げ、ペットボトルに蓄えておくのです。
(ペットボトルに水道水を入れる作業)

(水でいっぱいになったペットボトルは、段ボール箱に入れて保管します)

この日は朝9時半頃から、瀬田さんは中学三年生のお孫さんとともに2㍑入りのペットボトルに水道水を入れる作業に当たり、2時間ほどで60本分を詰め終えました。
この後、表に水を汲んだ日付を記した段ボール箱にペットボトルを詰めて、地下室に保管しておきます。この水は3年はもつとのことです。
年中行事とも言える大寒の水の備蓄を終えて、瀬田さんはほっとした表情。しばし雑談しましたが、瀬田さんは「こうしてとっておいた水は、災害が起こった時に飲み水としても使えるんやは」と水は防災の役目も果たすのだと、笑顔を浮かべながら話されました。
寒中の城下町金沢。大雪にはならないものの、雪が降ったり、みぞれが降ったり、そして、曇りや雨と天候は、めまぐるしく変わる日が続いています。
そんな中、心がぽっと明るくなる出来事が、続きました。
一つは、
昨年末に近くの味噌蔵町小学校へお贈りした水墨画の御礼にと、小学校から感謝状などが届いたこと。そしてもう一つは、
近所のお餅屋「山本観音堂」さんに先日、お餅作りの作業風景を見せて頂いたあかつき屋のお客様が、そのお店のお餅を使って、お雑煮を作られたという話です。
いずれも思いがけないことがきっかけだっただけに、そのハッピーな顛末に喜びが胸の内に広がりました。
(水墨画を寄贈したことに対する金沢市様からの市長感謝状)

(藤森校長先生は、シクラメンと寒梅も持ってきて下さいました)

味噌蔵町小学校へ贈らせて頂いた水墨画は、私の父が描いたものです。父が昨年のロンドン五輪・柔道女子57㌔級で優勝した松本薫選手の活躍に感銘して描いたもので、その絵のタイトルは「決めた!金」。
松本選手は、ご実家があかつき屋の近所にあり、松本選手が子どもの頃、近くの味噌蔵町小学校へ通っていたこともあり、父と相談して、その絵をこの小学校へ寄贈させて頂きました。
その御礼にと、この度、藤森校長先生が、市長感謝状と寒梅「玉牡丹」の幼木とシクラメンを携えて、あかつき屋にお越しになりました。
校長先生「頂いた水墨画のことは、年末の終業式の時に、全校児童に紹介しました。松本選手の絵は、子どもたちの励みになると思います」。
とても恐縮なことです。さわやかな雰囲気のする花は、早速玄関に飾らせてもらいました。
お客様と観音堂さんへお邪魔したのは、お正月の鏡餅を再びお餅に作り直す工程を見学させてもらうためでした。その際、東京からのお客様のKさんは、お土産に切り餅などを買って帰られたのです。
(観音堂さんのお餅を使ってお客様が作ったお雑煮=写真掲載了解済)

帰った後、早速ご自宅でお雑煮を作られたそうです。
「歯ごたえがあって本当に美味しかったです!」とKさん。何でも、観音堂さんでは、ご主人から、お餅はトースターで焼くと、ふっくら柔らかくなるのに網にひっつかずに、つるっと取り出せる、と教わったとのこと。
言われた通りにしてみると、全くその通りになり、とても美味しくできたそうでした。
いずれも歩いてすぐに行ける範囲内であった、あれこれ。寒さを忘れる、心なごむ出来事でした。
お正月には欠かせない鏡餅。それが松の内が終わり、いったんその役目を終えると、お餅屋さんによって新たな命がふきこまれ、“第二の人生”とも言える役割をもつことを知りました。
あかつき屋の近所のお餅屋「山本観音堂」(以下・観音堂)さんでは、お客さんに販売した鏡餅を松の内が終わった後、引き取り、それをつき直すなどして再びお餅にして、そのお客さんに届けておられます。
お客さんにすれば、鏡餅を正月のお飾りにした後、今度は紅白のおまんじゅうとして味わうという、二度の楽しみを味わうことになるのです。
(観音堂のご主人からお話をうかがうあかつき屋のお客様)

鏡餅を扱う、お餅屋さんのそんな作業の工程をあかつき屋にお泊りになったお客様と一緒に、観音堂さんで見せて頂きました。外は雪混じりの空模様でしたが、中の作業場はご主人と女将さんの気持ちのこもった仕事ぶりで熱気に満ちていました。
鏡餅はお正月にはなくてはならないものですが、最近ではお正月が終わると、その処理に苦慮するところが少なくないようです。
これまで鏡餅はお雑煮などに使われていましたが、それが煩雑であるとして、鏡餅自体がビニールに砂糖が入ったものに代わったり、中にはガラス製に代用されたりしているようです。
しかし、やはり本来のお餅で作った鏡餅が主流であることには変わりなく、観音堂さんでは、近隣を中心にそれを作って販売されています。
ただ、上述したように、お正月が終わってからの鏡餅の取り扱いがどこもやっかいのようで、観音堂さんでは、そうしたところから鏡餅を引き取り、安価で食用のお餅につき直すサービスをしておられます。
(観音堂さんに持ち込まれた鏡餅=上、表面にカビが見える鏡餅=下)

今年も仕事始めが終わった頃から、観音堂さんの近所の銀行や葬祭会社、飲食店などから鏡餅が、観音堂さんに相次いで持ち込まれました。
この鏡餅、硬い上に、ところどころカビが生えているので、まずそれを取り除く作業から始めることになります。観音堂さんは「カビが生えているのは、全然悪いことじゃないんです。防腐剤などの添加物がない証拠。取ればいいだけなんですから」とおっしゃいます。
(包丁でカビを切り落とします=上、餅を小さく切り、水に浸し柔らかくします=下)

鏡餅はまず水に漬けて餅を柔らかくした後乾かし、包丁でカビの部分を切り落とします。その後、餅を切って5㌢前後の大きさにし、再び水に浸します。
柔らかくなったお餅は今度は、せいろで蒸し、蒸しあがったところで次は、餅つき機でもちをつきます。
つき終わったら、すぐに黒あんをくるみ、紅白のおまんじゅうに仕上げます。
(切ったもちは再びせいろで蒸します=上、蒸した後は機械でつきます=下)

(つき上がったもちには、手際良くあんをくるみます)

あかつき屋のお客様とともに観音堂さんに伺った時は、もちのカビを取り除き、適当な大きさに裁断して、水に浸すところでした。翌日は、これらを蒸した後、もちつき機でもちをつき、紅白のおまんじゅうに完成することになっており、それに向けて、慌しく立ち働いておられました。
でも、ご主人と女将さんはその合い間に、いろいろとお話をして下さいました。
「昔は、金沢市内に100軒ほど餅屋があったけど、今は60軒ほどに減ってしまった。(経営者が)年をとったとか、機械が傷んだとかという理由で、辞めていったんやは」とご主人。
そして何より、日常生活において以前ほどお餅を用いなくなったのが最大の理由とされました。
「前は、やれお祭りや成人式やと言うて、隣近所にお餅を配ったもんやけど。結婚式なら必ずお餅を作ったけど、今はそんなお金があったら、若い人は新婚旅行のお金に使うんやろね」。
ご主人は笑いながらおっしゃいましたが、ちょっぴり寂しそうにも見えました。
「わしらも体が続く限りは、しっかりやっていきたい」と、ご自身に言い聞かすようにおっしゃいました。
東京からお越しになった若いお二人は、思いがけないお餅屋さんの仕事場見学に興味津々の表情。いくつかご主人に質問をされる一方、年輪が刻まれたご主人の大きな手を見せて頂きました。
鏡餅が観音堂さんに持ち込まれて、一週間ほどで今度は紅白のおまんじゅうに生まれ変わりました。つきたてで、まだ温かく、柔らかいお餅は、観音堂さんの近辺のお店や事業所に再び届きます。従業員の方々は、出来立てのお餅に舌鼓を打ち、気持ちを新たに新年の仕事に臨まれていることでしょう。
金沢アカペラタウン2013実行委員会の新年度初打ち合わせが、先の三連休中にあかつき屋で開かれました。
夏の金沢の街角に、さわやかな歌のハーモニーを響かすアカペラタウンも今年で4回目を迎えます。
実行委員会のメンバーの皆さんも、運営にはすっかり慣れたご様子。顔合わせを兼ねたこの日の会合には新顔も加わり、楽しげに打ち合わせを進めておられました。
(新年最初の打合せを行った金沢アカペラタウン2013実行委員会の皆さん)

(楽しいイラストも描いて下さいました)

今年のアカペラタウンの開催日程は、8月23日(金)から25日(日)までの三日間に決まったそうです。
「ぜひ皆さん金沢にお越し下さいませ♪」と、実行委員の方々は、呼びかけておられました。
和歌山大学観光学部の学生さんらをご案内して歩いたこまちなみの天神町。歴史的な趣に浸りながらの道すがら、全く信じられないような光景と出くわしました。天神町通りの中ほどの民家の軒下に獣の巨体が横たわっています。近づくと、それはイノシシでした。
学生さんや先生は、びっくり仰天。「とんでもないものを見てしまった」といった表情で、しばしその姿に目が釘付けになりました。
(天神町の民家の軒下に横たわっていたイノシシの巨体)

そこはYさんのお宅で、そこのご主人の狩猟仲間が昨日、小松市大杉方面の山中で射止めたそうです。
イノシシは、メスで体長は約1.5㍍、体重は100㌔ほどあるそうです。横たわっていると、本当に大きく感じます。
そのイノシシを前にして、Yさんのご家族らが手慣れたご様子で作業を進めておられます。既にイノシシは内臓が取り除かれており、次に血抜きをするために、軒下の滑車に通したロープにイノシシをくくりつけ、イノシシを持ち上げようとしていました。
奥さんも交えたYさんのご家族らは、「セイノー」と声を合わせてロープを引き、イノシシを天井から吊るしました。見ていても力が入り、どこかユーモラスでもありました。
天井に吊るされたイノシシが安定した後、男性はナイフでお腹の中の残物を除き、きれいにしているようでした。
こうして処理したイノシシのその後は聞きそびれました。
それにしても、城下町金沢の歴史探訪を兼ねた町歩きで出くわした思いがけない風景。学生さんらに強烈なインパクトを与えるとともに、どこか奇妙で不思議な、こまちなみ散策となりました。
この三連休、様々なお客様があかつき屋にお越しになっています。金沢の町家や歴史的な町並みを知りたいとお泊まりになったのは、和歌山大学観光学部の先生と学生さんのグループ。
中でも、金沢ならではの古い町並みである「こまちなみ」に興味をもっておられたので、あかつき屋の近隣にある「こまちなみ保存地区・天神町」をご案内しました。格子戸や「うだつ」の多い家並み。学生さんらは、写真を撮るなどして熱心に見て回られました。
(あかつき屋にお泊りになった和歌山大学観光学部の永瀬先生=左から2人目=と学生さんたち)

観光学部は、国立大学では珍しい学部で、国立大学で設置しているのは和歌山大学と琉球大学だけだそうです。その学部から講師の永瀬節治先生と、そのゼミ生があかつき屋にお越しになりました。
永瀬先生は、授業で以前に金沢のこまちなみを講義されております。今回は現場をじかに見る機会とあって、とても興味をもっておられました。
この日朝、たまたまあかつき屋にお越しになった、ご近所の山下伸郎さんに同行して頂きました。山下さんは、木製玩具を作る名人であるとともに、この界隈の歴史にも詳しい人です。
(貴重な歴史的建造物を見学する学生さんら)

椿原神社前から扇町へと至る数百㍍の通りである、天神町のこまちなみ地区。そこには、数多くの出格子戸や白壁の家屋が軒を連ねており、時代を感じさせます。この通りには、魚屋さんや畳屋さん、八百屋さんなどのお店も点在しており、どこか懐かしい雰囲気が漂っています。
(ご近所の山下さん=中央=も案内役を務めて下さいました)

学生さんらは、一軒一軒古い建物の造りに目を凝らしながら、写真を撮るなどして、町の様子を記録されていました。途中、急遽ガイド役を務められた山下さんは「この石垣は江戸時代に造られたものです」「この家の屋根は昔、木で葺いてあり、上には石が置かれていましたよ」とご自身の見聞も含めてご説明されました。
学生さんらは、武家屋敷跡や茶屋街などのようないわゆる名の通った観光スポットでないにもかかわらず、歴史的な建造物が今も集積されていることに驚かれた様子で「とてもいい勉強になりました」と、感想を話されていました。
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