やりました!ロンドン・オリンピックの柔道女子57㌔級で、松本薫選手=金沢市出身=が、日本選手団第一号となる金メダルを獲得しました。
なかなか金メダルが取れなかっただけに、その快進撃は、もやもやした気分を吹き飛ばしてくれました。おめでとう松本選手。
その松本選手、ご実家が実はこのあかつき屋から歩いて5分ほどの近所にあるんです。松本選手のご実家の町内会は、松本選手の快挙に沸き、あかつき屋でもお客様と盛り上がりました。
(表彰台で金メダルを掛けられた松本選手)

松本選手が出場した試合は、お客様とテレビ観戦。怖いほどの表情で試合に臨む松本選手が勝ち上がっていくたびに、お宿の中は、熱気が高まりました。
松本選手が優勝を決めると、緊張が解けたのか、途端に泣き顔に変わったのには、驚くとともに、ほっとした気持ちにもなりました。
松本選手のご実家は、扇町にあります。松本選手は子ども時代、あかつき屋からも近い小学校や中学校を出ておられます。
ご実家のすぐそばには、
私がよく行く魚屋「越吉」さんがあり、そのお隣では、松本選手の五輪出場が決まった後、五輪出場を祝う横断幕が掲げられました。
(横断幕が掲げられている松本選手の地元町内。左隣が越吉さん)

松本選手の地元とあって、今日は朝から報道関係者らでにぎやかだったそうです。テレビ・ニュースには、よくお会いする越吉さんの女将さんら近所の人が出て、喜びの言葉を話しておられました。
それにしても、そばの人が、やけどしそうなほどの熱い闘志。忘れていたものを思い出させてくれるようで、強い印象を残してくれました。
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あかつき屋でこれまで、様々なお客様をお迎えしてきましたが、この週末、極めてインパクトの強い光景を目にすることになりました。
二組のご家族連れのお客様、そのお子さん3人すべてが折り紙や工作など、手作り作業が大好きで、あかつき屋にご滞在中、暇を見つけては、折り紙作りなどに取り組まれたのです。
その熱中ぶりといったら、そばで見ていると、一心不乱というか、迫力を感じるほど。子どもたちは、手をスイスイと動かして、様々な紙細工を作られました。
(朝食後、工作に熱中する子どもたち)

あかつき屋では、これまでお客様(大人)が作られた折り紙細工をいつもテレビ台に飾ってあります。いい和のアクセントになっており、お客様には好評です。
その折り紙をこの週末にお泊りになったお客様の子どもさんが、即座に見つけ、「折り紙したーい」とおっしゃいます。
あかつき屋では、折り紙は常備していますので、すぐ子どもたちに渡したところ、早速、身体にスイッチが入ったように、集中して折り紙作りを始められました。
(折り紙作りに熱中する左から徳田裕典君、千太郎君そしてお母さん)

(井上楽斎君も夢中に)

その熱心さもさることながら、感心したのは、オリジナル作品にも挑戦されること。はさみも使って、タイヤの付いたオートバイや、色紙6枚も使った色鮮やかな独楽(こま)など、随分と工夫が凝らされたものが数多くありました。
今朝も、朝食が終わるか終わらないうちに、紙細工遊びをしたいということで、お座敷を開放。こちらで提供したお菓子の空き箱やカレンダーの大きな紙なども使って、帆かけ舟や飛行機などを、てきぱきと作っていかれました。
(出来上がった飛行機や舟、コマ、ちょうちょ、ヘビ、サツマイモ、手裏剣などの力作)

そばで見ていると、頭でアイデアが思いついたと同時に、手が動いているといった感じで、子どもの内に秘めた創造性や造形力に、感動さえ覚えました。
すごくモノづくりが大好きな子どもたち。それには、わけがあるようにも思えました。
子どもたちのお父さんは、アートの第一線で活躍する人なのです。
4歳児のお父さんは、画家の井上よしとさん。小学2年生と4歳児のお父さんは、東京でカメラマンとしてご活躍の徳田悟さんなのです。
子どもさんは、親御さんから、アーティストとしてのDNAを引き継いでおられるのですね。この町家が、思いがけず、ちびっ子芸術家たちの創作の場にもなり、この夏の大きな思い出の一つになりました。
今朝、ロンドン・オリンピックの開会式が行われました。
あかつき屋の朝の食卓は、テレビで世紀の祭典を見ながらのお食事となりました。選手団の行進に続く聖火リレー、そして最後に大きなリングに火が次々と灯されるシーン。夏の暑さを忘れさせてくれるほど、幻想的なものでした。
(テレビでロンドン五輪の開会式をご覧になるお客様)

この日、朝を迎えられたお客様は、画家の井上よしとさん(大阪府)のご家族でした。井上さんは現在、石川国際交流サロンで、個展を開催中で、そのほのぼのとした味わいのあるパステル画は、見ていてとても心なごむものでした。ご一家は連泊されており、井上さんのお人柄にもふれることで、その作品世界に理解が深まったような気がしました。
井上さん、チェックイン早々お部屋である発見をしたとおっしゃいます。お部屋に飾ってある掛け軸がお子さんの名前と同じだと言うのです。
掛け軸には、私の妻の手で「楽」と書かれてあるのですが、井上さんのご長男のお名前が「楽斎(らくさい)」というお名前で、「楽」の文字が一致したのです。
「何と言うご縁でしょう」。お互いに驚き、笑顔が広がりました。
(「楽」の掛け軸の前で記念写真を撮られる井上さん親子)

(ほのぼのとした作品が並んだ井上さんの個展)

午後に石川国際交流サロンで開かれている井上さんの個展会場へ。ライオンやカラス、ワニ、クジラなどの動物を題材にしたものや、サッカーに興じる子どもたちを描いたものなど35点が並んでいました。
いずれの作品も温かな雰囲気が漂い、いつまで見ていても飽きません。図らずも、素敵な作家さんと出会い、幸福を感じた一日でした。
夏休みに入り、あかつき屋へは、中高校生や学生さんら若者グループが相次いでお越しになっています。
百万石の城下町金沢は、まぶしい日射しの中にありますが、そんな中で、皆さん街なかへ元気いっぱいに出かけられています。
このうち、東京からお越しになったカップルは、涼を感じるシーンをカメラに収めて帰って来られました。名園の風情や生き物の息遣いなどを活写した写真は、真夏の城下に心のオアシスとも言える、ひとコマ、ふたコマでした。
(長町武家屋敷跡界隈、俵屋の飴でくつろがれるお二人
=ご提供写真、掲載了解済、以下同じ)

まちのり自転車を駆って、市内をめぐられたお二人。長町武家屋敷跡では、俵屋さんで買った飴を楽しみながら、土塀が続く町並みを散策されました。
まず、ミシュランの格付けで二つ星に選ばれている加賀藩士の屋敷跡・野村家に入られました。庭園の曲水が、家の縁側のすぐ下にまで流れているため、お二人は「とても涼しかった」と振り返られました。
(曲水が流れる野村家)

(細いせせらぎに渡した竹に花が生けられていました)

その細いせせらぎの上に竹で作った花生けが置かれ、きれいな花が生けられてありました。見るからに涼しげで、こんな細部にまで気配りされるところに、金沢の人のやさしさと繊細さを感じたとお二人は、おっしゃいました。
(金沢城の広々とした芝生広場)

(見知らぬトンボがたたずんでいました)

炎天の中、金沢城公園や、せせらぎが流れる白鳥路へも足を延ばされました。
広々とした金沢城の芝生広場では、なにやら生き物がはいつくばっています。「羽根が黒い蝶かと思ったら、トンボでした」(お二人)。
トンボは羽根の大半は黒く、先っぽは、透明です。
「名前が分からないけど、お城の中では、珍しいトンボもいるんだ」。お二人は不思議な感覚を抱きつつ、金沢のもう一つ別の表情を見られたようでした。
真夏の太陽の下にある城下町・金沢。でも、街のあちこちに知られざるクール・スポットがあることを知ったお二人。
今朝、忍者寺(正式名・妙立寺)を訪問された後、車で能登半島へと向かわれました。
梅雨明けとともに本格的な夏が到来。あかつき屋では、お客様に少しでも涼しさを感じてもらおうと、初めて氷柱をお宿の中に置きました。
その日は、小学校の同窓会会場として、あかつき屋は全室貸切となりました。今は、50代半ばに入り、すっかり貫禄のついた(出席者談)幼なじみたちは、童心に帰ったように、大きな氷の柱に歓声を上げ、夜遅くまで語り合われました。
(氷柱を囲み歓声を上げられる、同窓会に参加されたお客様=写真掲載了解済、以下同じ)

氷柱は、お客様サービスの一環として、実験的な意味合いもあって、コミュニティ・ルームのテーブルの上に置くことにしました。氷柱は、
東山の氷店「クラモト氷業」さんから購入し、午後4時半ごろに配達してもらいました。
高さ50㌢ほどの氷の柱は、お部屋の中に入ると迫力満点。氷屋さんが、テーブルの上に氷柱を立てると、「ウワーっ」と歓声が上がりました。
(氷柱に手を当てて楽しまれるお客様)

(飲み物を冷やすのにも利用されました)

お客様は、冷気を放つ氷のそばで涼をとられる一方、氷に手を当てて感触を楽しんだり、氷の上に缶ビールや缶チューハイなどを載せて冷やしたりするなど、思い思いに氷とのふれあいを楽しんでおられました。
時間がたつにつれて、氷は角がとれて、丸くなってくるので、「人間といっしょやね」と話す人があり、笑い声が上がりました。
お客様は、能登の小規模校のご出身で、保育所から小学校まで、同じクラスで過ごされたお仲間たち。卒業生の多くが、金沢やその近郊に暮らしているので、あかつき屋のある金沢で初めて同窓会を開催することになったのでした。
なお、この氷柱、結構長持ちするもので、翌日のご家族連れらのお客様にも楽しんで頂きました。
夕食のおかずの一品に加えたくて、午後3時頃、あかつき屋の近所の魚屋「越吉」さんを訪ねました。
お目当ては、ほっけの色づけ。人気の品だけに、「まだ、あるかな~」と半信半疑で行きました。
お店に着くと、ガラスケースの上は、とてもにぎやかな風景。今、焼きあがったばかりの鮎がずらりと並んでいるのでした。
(お店にずらりと並んだ鮎の塩焼き)

ほっけの色づけは、ありました。ほっと一安心。これもまだ温かく、二串買いました。目的は、これで達したのですが、そばにある出来立ての鮎の塩焼きを見ていると、これも欲しくなり、二本追加で買ってしまいました。
食卓にほっけの色づけなどを並べると、何とも言えない存在感があり、夕食は一気に活気づきます。
それにしても、今さらながら気づいたことですが、「夏は、焼き魚」なんですね。
連日の猛暑のなか、暑い暑いと言いながら、ホクホクの焼き魚を食すのは、夏の醍醐味と実感しています。ほっけの色づけや鮎の塩焼きは、焼き立てとあって、文句なしにおいしかったです。
ところで、お店で忙しくされていた女将さん。手を休めず、最後にこんなことを付け加えられました。
「うちは、イカも焼いているんやよ」「朝の散歩の途中に(焼き魚を)買っていくお客さんもいるんやは」。
イカも焼いているんですか。これは、また楽しみです。
この三連休の最終日、金沢は全国でも屈指の猛暑となり、にっちゅう36度余りを記録しました。
梅雨明けを思わせる暑い日となりましたが、あかつき屋は、さわやかな風が吹き渡りました。
お越しになった若いカップル、あかつき屋にゆかたと、下駄持参で来られ、着替えて街なかへ出かけられたのでした。
朝、素敵な浴衣に着替えられたお二人、凛とした気品さえ漂い、お宿の中は、清涼感で満たされました。
(ご持参のゆかたで街に出かけられたお二人=写真掲載了解済)

お二人は、まずあかつき屋の近くの兼六園に出かけられ、園内の散策のほか、茶店でかき氷を召し上がったそうです。
(兼六園での散策を楽しまれるお二人。かき氷で涼をとられました
=お客様提供写真、以下同じ)


この後、歩いて近江町市場へ。市場内で売り子さんらの活気を感じられながら、各店を見て回り、昼食はもりもり寿司でお寿司を食べられたそうです。
お昼過ぎに、あかつき屋に戻って来られたお二人、奇しくもこの夏一番の炎天の下での城下町の散策になりましたが、「とても楽しかった」と笑顔いっぱいの表情でした。
新盆と重なったこの三連休、あかつき屋では、様々なお客様をお迎えしました。
今年は、ご先祖のお墓参りに金沢にお越しになったご家族にもお泊り頂きました。
この三連休は前のお寺・広済寺さんには、続々と墓参の人たちが訪れており、内と外で新盆を実感することになりました。
(金沢での墓参のお客様も迎えたあかつき屋の朝の風景=写真掲載了解済、以下同じ)

墓参のお客様は、名古屋から来られたご家族。あかつき屋の近隣にご先祖様のお墓があるということで、町家の雰囲気も味わいたいと、あかつき屋で連泊して頂いたのでした。
(あかつき屋から能登半島をも回られた男性のお客様)

このほかのお客様は、若い人で占められ、金沢の観光のほか、涼を求めて、車で羽咋・千里浜や七尾のフィッシャーマンズワーフなど、能登半島のシーサイドにも足を延ばされました。
私も仕事の合間を縫って、金沢市内にある親族のお墓を訪れ、手を合わせました。家族が無事に暮らしていることのご報告を兼ねて。
梅雨は終盤。蒸し暑さが続く中、午後にまちの氷屋「クラモト氷業」さんを訪ねました。
この日は、近江町市場内では買い物客らに涼を感じてもらうため、氷柱が置かれた日。夏のシーズン到来とあって、お店の人は、氷の裁断や出荷などの作業に忙しく立ち働いておられました。
(まちの氷屋「クラモト氷業」さん)

この氷屋さんは、ひがし茶屋街と国道をはさんだところにあり、あかつき屋からは歩いて15分ほどのところにあります。通りからは、店内の作業風景を目にすることができます。
お忙しい時間帯でしたが、店内をのぞかせてもらいました。
お店の人は、氷を裁断機にかけ、適当な大きさにカットしたり、これを軽トラックに積んだりと、慌しく動いておられました。
(氷を裁断機にかけ適当な大きさにします)

(出荷前の氷の数々。繁華街の飲食店などに運ばれます)

ここで作られた氷は、近江町市場のほか、片町などに運ばれ、氷柱として飾られたり、かき氷や飲み物などに使われるそうです。
あかつき屋では、梅雨明けごろにこのお店から氷を求め、お宿の中に氷柱として置き、お客様に夏の風物詩を味わってもらおうと考えています。
梅雨空が続きます。そんな中で、ほっと気持ちが明るくなるところがあります。
兼六園の近隣、小将町にある「地蔵橋子安地蔵尊」です。
祠(ほこら)の前には、きれいな花が供えてあり、地元の人がお世話されていることが分かります。この界隈には、金沢の下町の人情が今も息づいているのが、感じられます。
(きれいな花が供えられている地蔵橋子安地蔵尊)

地蔵尊があるのは、小将町中学校の裏手で、近くには加賀友禅伝統産業会館や玉泉園などがあります。その付近を通るとき、自然とこの地蔵尊が目に留まります。
(地蔵尊の由来書)

地蔵尊の横手には、これの由来を書いた立て札が据えられていました。それによると、こうです。
応長元年(1311年)に、大乗寺の瑩山和尚が現在の小将町に浄住寺というお寺を建てました。しかし、その後大火で、それは焼失したとのこと。
ただ、浄住寺門前の地蔵堂は、祈れば子どもの病気、その他何事も成就するとされ、人々が花を供えて信仰したという。この堂の傍らの橋を地蔵橋と称した、とあります。
藩政の初期には、奥村内膳氏という人の夢枕に地蔵尊が立ち「自分は橋の下にて諸人に踏まれて通る人々を済度する(助ける)」とのお告げがあり、身代わり地蔵として、さらに多くの人々の信仰を得た、そうです。
昭和に入ってからは、多くの信者によって、現在の地蔵橋子安地蔵堂が再建された…、と結ばれています。
いつもきれいな花を供えられ、お地蔵さんは、さぞうれしいことでしょう。
この地蔵尊は、あかつき屋から歩いて10分足らずのところにあります。日ごろから感じることですが、この界隈は、百万石の城下町の伝統か、暮らしている人の間に今も、温かく、濃やかな人情が息づいているようです。
あかつき屋のお客様も、近隣に食事に行ったり、お風呂屋さんに行ったりして、そのようなことをとても感じる、とよくおっしゃいます。
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