今朝のあかつき屋、コミュニティ・ルームに思わず笑みがこぼれる風景が広がりました。材木町のパン屋・森長さんに、焼きたてのパンを出前して頂いたのです。
そのパンに舌鼓を打ったのは、前日からあかつき屋に一軒借りでお泊まりされていた滋賀県立大学写真部の学生さんたちで、大きな掘りごたつの上に並べられたメロンパンやあんパン、チョコパン、コロッケパンなど様々なパンを食べながら、朝のひとときを過ごされました。
(掘りごたつの上に並べられた焼きたてパンの数々)

森長さんは以前にパンの配達もされると聞いていたので、焼きたてのパンは、きっとお客さんに喜ばれるだろうと今回初めて出前をお願いしたのでした。
2階の客間から降りてきた滋賀県立大の写真部のメンバーたちは、掘りごたつの上にずらりと並んだ香ばしいパンを目にすると、ぱっと表情が明るくなりました。早速コーヒーをたてて、コーヒーが出来上がると、「いただきます」と唱和してパンに手をのばされました。
(あかつき屋に一軒借りで宿泊された滋賀県立大写真部のご一行様。写真掲載了解済み)
大学の泊まり込み合宿としてご利用滋賀県立大の写真部の皆様は泊まり込み合宿として、あかつき屋を利用されました。昨日と今日の2日間、兼六園やひがし茶屋街、21世紀美術館に足を運び、精力的に撮影されました。
前夜は、あかつき屋の近所のお寿司屋さんや串焼き店、酒屋さんなどで食材を買い出しし、コミュニティ・ルームでお寿司などをつまみながら、夜遅くまで語らっておられました。
ご宿泊、ありがとうございました。また遊びに来てくださいね。
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我が家の雪割草がかれんな花を咲かせました。朝夕に肌寒さが残るものの、春は着実に歩を進めているんですね。
あかつき屋では、雪つりを外しました。庭も雑草が生え始め、生気を取り戻したようです。

我が家には、山野草の雪割草が、数鉢あります。昨年の能登・門前の雪割草まつりで購入したものと、近所の雪割草栽培名人から頂いたものです。
今冬は、記録的な大雪で雪割草の鉢がすっぽり雪に覆われ、その茎さえ見えなくなったので、雪割草は花をつけるのだろうかと心配していたのですが、暖かくなって芽を伸ばし、ここ一、二日の好天で一気に花を開かせました。
雪割草には「忍耐」「はにかみや」「信頼」などの花言葉があるそうです。その花言葉通り、厳しく長い冬をじっと耐えしのんだ後、時節到来とばかりに芽をふき、花弁をつけたのでした。根さえ残っていれば、気候が良くなると、本来の生命力が自然と発現するのですね。
雪割草をあかつき屋へ持っていき、お客様に見て頂こうと思います。
庭の植木の雪つり外す春らしくなって、庭の植木も元気が出てきたようです。さすがに、雪つりが不似合いになったので、スタッフのサカイさんにお願いして、松の木の雪つりを外してもらいました。松は、縛りから解き放たれて、気持ちよさそうに見えました。
ピールアートという不思議なアートの世界にふれる機会がありました。
このアートの創始者の才田春光さんが犀川べりで開くお店「HIMITO 光水土」をグループで訪れ、才田さんご自身から主に果実の皮を素材として造形する芸術についてお話をうかがい、実際に体験しました。
果実の皮はむいてしまえば、無用のものとして捨てられてしまうものですが、細工ひとつで人を魅了するものに生まれ変わります。その着想と創意工夫に一同感嘆しました。
(ピールアートのお店「HIMITO 光水土」)

ピールアートのお店は、金沢周遊バスのバス停である犀星文学碑の前にあります。中に入ると、タンポポの綿毛の丸い球がすだれのように上下につながっているのが目に留まります。特殊な処理がされているのでしょう、毛は不思議とけば立ったり落ちたりしないのです。
(店内に並ぶ様々なピールアートの作品)

店内にはそのほか、たまねぎやれんこんの皮、いちごのヘタ、オクラなどを乾燥させた上、手を加えてインテリア小物に仕上げた作品が並んでいました。それぞれに生命感をもっており、メルヘンの世界に入った感覚に陥ります。
(ミカンの皮で作った作品)

ピールアートの創始者であり、第一人者でもある才田さんは、テレビ出演のほか、著書においてもピールアートの魅力を語っておられます。その先生から直接ミカンの皮を使って、ピールアートを体験する機会を得ました。
細かくカッターで割いたミカンの皮を丸め、これを針金に通してリング状にしました。
小1時間でミカンの香りのするしゃれたブレスレットになりました。
東日本大震災と福島原発のトラブルの収束が依然見通せない中も、季節は確実に動いています。兼六園周辺では、花見シーズンを前に、ぼんぼりが設置されました。桜の花が開く頃、春の到来を明るく受け止めることができるようになっていたいものだと思います。
(紺屋坂付近)

兼六園下交差点から兼六園へと上がる紺屋坂や茶店前の通りには、ぼんぼりが並んでいました。3連休とあって観光のお客さんも多くなっており、行楽シーズンの本番近しを思わせます。
(石川橋から大通りの桜並木を望む)

兼六園から石川門に架かる石川橋から下の大通りを見下ろすと、桜のつぼみが膨らんだのか、桜並木が淡いピンク色に染まり始めました。桜が満開になると、それは見事なピンクの帯になります。今年も大勢の人の目を楽しませてくれるでしょう。
(小公園の花壇で咲く花)

兼六園から、あかつき屋へは、兼六大通りではなく、小将町、東兼六町、扇町の小路を歩いて帰りました。途中に「金沢市史跡 金沢城惣構(そうがまえ)跡~東外惣構~」なる場所がありました。
加賀藩の三代藩主利常が1610年に金沢城防備のため篠原一孝に命じて造らせたものであると、案内板には記されています。
そのそばには小公園があり、パンジーが花壇できれいに咲いていました。桜より一足早く見頃となっています。おそらく地元の人がお世話されているのでしょう。
“避難”兼ねた関東のお客さんもところで今回の大震災について、あかつき屋では、キャンセルばかりではありませんでした。数日前、群馬のカップルが飛び込みで来られました。
聞けば、お二人は群馬県内の温泉地で観光関連の仕事に携わっているとか。今回の震災で観光客の足がぱったりと止まったのに加え、原発騒動で落ち着かないこともあり、とにかく車で北陸の地にまでやってきたとのことでした。
金沢で観光というよりは、避難という意味合いもあり、夜は大きな掘りごたつのある部屋(コミュニティルーム)で食事を取るなどして過ごしておられました。
翌日二人をお送りしましたが、ぐっすり眠ることができてすっきりしたようで、「今日(の午後)は群馬に帰ろうかな。それにしても、スーパーには物がたくさんあっていいですね」と笑いながら話し、21世紀美術館の方へ車で向かっていかれました。
筆舌に尽くしがたい被害をもたらしている東日本大震災。あかつき屋でも被災地支援のお役に立ちたいと、15日、義援金受付箱を設置しました。
訪れたお客様は早速、善意を寄せてくださいました。ありがとうございます。

東北の仙台や岩手などは、これまで仕事や交友関係などで、ご縁のあるところ。テレビで目を疑うようなシーンが流れると言葉を失い、お付き合いのあった方たちのお顔が浮かびました。
このお宿も例に漏れず、数件の予約キャンセルがありました。
通信、交通網などライフラインが破壊されている今は、こちらから直接支援の手をさしのべることは不可能で、お泊りのお客様のお気持ちもくんで、さし当たって義援金受付箱を置きました。
お隣の「クスリのアオキ」さんから不要な段ボール箱を譲り受け、手作りしたものです。
この日、関西から数人のお客様がありました。上がりの間に置いた義援金受付箱について説明する間もなく、お客様はこの箱に目を留められ、箱にお金を入れて、支援の気持ちを表されました。
とにかく一刻も早く被災者への支援が目に見える形で効果が表れるよう祈るばかりです。
福島原発のトラブルの収束も待たれます。
落ち着かない日が続きますが、こちらは地に足を着けて持ち場を守り、充実させていくことが肝要と考えています。
3月10日の昼下がり、兼六園を訪れました。梅林では白梅や紅梅などが花を開き始めており、雪の残る園内に彩りを添えていました。
雪がちらついたり、突風が吹いたりと不安定な天候が続いていますが、着実に春は近づいているようです。
(兼六園の梅林を見学する金沢城大学の受講生)

この日は、平成22年度城と庭の探求講座「金沢城大学」の講座が県立美術館広坂別館であり、「金沢城と兼六園の花便り」と題した講義の後、お隣の兼六園を訪れたのでした。
講師の先生は、金沢城・兼六園研究会会員の城森順子さん。城森さんは、金沢市のホームページに兼六園の花便りを掲載されておられ、名園の四季の草花や樹木に大変お詳しい方です。
(緋の司)

(白加賀)

講義の後、城森さんに伴われ、これからいよいよ見頃となる兼六園の梅林を訪ねたのでした。
梅林では、白梅の白加賀、青軸や紅梅の緋の司、八重寒紅などが花を開いていました。梅は花びらがそんなに大きくない分、どこかつつましく遠慮がちに見えました。
兼六園には、20種、約200本の梅の木があるそうで、これから暖かくなるにしたがって、梅は咲き競うように、きれいな花を見せてくれることでしょう。
無事修了証書を頂くところで、この日の講座は、同日が平成22年度の最終講座とあって、講義の後閉講式があり、修了証書を頂きました。
昨年10月にスタートした本講座、開講時はゲストハウスの開業前だっただけに、修了できるか不安もありましたが、あかつき屋オープン後も、仕事の合間を縫って受講し、全8回のうち1回の欠席で済みました。
試験があった訳でもないのですが、無事講座を終え、修了証書を手にすると少なからず喜びと満足感がありました。
(多少とも)がんばったことが、目に見える形で結果として現れるとうれしくなるのは、いくつになっても変わらないのだなと、感じたことでした。
大正時代に作られた神殿造りの雛飾りを見せていただく機会に恵まれました。あかつき屋前のお寺・広済寺さんにあるものです。お内裏さまとお雛さまが神殿の中に納まっている様子はいかにも格調高く、このお寺の重厚な歴史の一翼を担っている感さえします。
先週末にあかつき屋に宿泊された女性グループもこの雛飾りを見せてもらいましたが、女性らは歓声を上げ、「金沢の良い思い出になりました」と喜んでおられました。
(大正時代に作られた神殿造りのある雛飾り)

神殿造りの雛飾りは、今年86歳になる広済寺さんのおばあさんが大正14年5月に誕生した時、そのお母さんの津幡のご実家がこのお寺に贈ったものだそうです。
神殿造りの雛飾りは現在ではまれですが、お寺の奥様は「おばあさんが生まれた頃は、結構あったんじゃないかしら」とおっしゃいます。
お内裏さまとお雛さまの前には、気品のある三人官女も控えています。
(神殿造りの雛飾り)

(雛壇に飾られたタンスや御膳、花咲じいさんの人形など)

(人形の帽子も大正時代のもの)

この神殿造りの雛飾りと同時におばあさんの母親のご実家からは、雛壇に飾るタンスや御膳、花咲じいさんのお人形、女の子人形の帽子も贈られたそうです。いずれもそんなに古く感じないのは、お寺が大切に保管されてきたからでしょう。
お寺ではその後、女の子が誕生したのに合わせて雛壇を高くし、お人形を順に足していったそうです。大正時代のお雛さまと現代のそれとが一緒にたたずんでいる訳ですが、全く違和感はなく、見事な新旧の調和です。
(お寺の奥様の説明を聞きながらお雛さまを見学するタイの女性ら)
あかつき屋の女性宿泊客も見学し感心せっかくなので、あかつき屋にお泊りになった女性客3人が、この雛飾りを見学する機会を頂きました。
女性客のうち2人はタイ人の女性。雛人形の存在すら知らなかったので、この優美、壮麗な雛飾りにただただ感心し、じっと見入っておられました。
お寺の奥様が一通り説明されると、タイ人の女性は、「お内裏さまとお雛さまは何でこんなにえらいんですか」と奥様に質問。意外な問いかけに、奥様は返答に困られました。
奥様は最後に「お雛さまは片づけが遅れると、女の子はお嫁に行き遅れるという言い伝えがあるんですよ」と話されると、タイ人女性らは、どう反応していいのか戸惑っているように見えました。
あかつき屋前の浄土真宗のお寺「広済寺」で2、3日、蓮如とこのお寺を開いた実如上人を追悼する「法宝物開帳の御忌(ぎょき)」がありました。雪が舞う中、お寺本堂では、お寺ゆかりの蓮如・実如両上人の追悼法要が営まれ、門徒さんらがおまいりされました。
両日は、かつての尾山御坊(現在の金沢城公園)から伝わる宝物のご開帳もあり、参拝の方々は由緒ある掛け軸などをご覧になりました。
(雪が舞う中、法宝物開帳の御忌が営まれた広済寺さん)

広済寺は、同寺の資料によると1501年(文亀元年)、実如上人の命を受けた江州広済寺(滋賀県近江八幡市)十代厳誓房祐念の二男祐乗が、本山の別院尾山御坊の看坊職(事務の統括責任者・住職代理的な役職)として派遣されたのが始まりです。江州広済寺は、聖徳太子の勅命によって創建され、寺号は経文の「広く衆の危難を済(たす)く」からとられています。
幾たびかの変遷を経て扇町の現在地に移ったのは徳川時代で、寺の建物は戦後建立されています。
この3月の3が日は毎年、蓮如と実如両上人の追悼法要が営まれます。この催しに合わせ、お寺に長年保管されている宝物の開帳(一般公開)もされています。開帳は、ふだん蔵にしまわれている宝物の虫干しの意味もあるそうです。
(ご開帳された宝物の数々)

(実如に似せて描いたとされる阿弥陀如来像)

本堂前面には、年代物の数々の掛け軸や仏像が並べられました。
宝物の中には、阿弥陀如来像の掛け軸もあります。これは、尾山御坊のご本尊とされるもので、少なくとも数百年以上経っているものです。実如上人の顔に似せて描かれているとのことで、如来像は「三方正面」となっています。三方正面というのは、どの方向から見ても、見る人のところに向いているというものです。
如来像の掛け軸の裏書(添え状)も表装されて展示されていました。これも200年以上は経過しているそうです。
ご住職さんらの説教が終わった後、参拝者は宝物の前に歩み出て、掛け軸に記されている文字を拾い読みしながら、500年以上に及ぶお寺の歴史に思いをはせておられました。
この御忌には、ユニークな言い伝えがあります。
尾山御坊にこのお寺があった当時、寺の侍女(女中)おちよぼが朝夕、仏前に供える水を井戸(現在の石川門そばの遺跡「おちよぼが井戸」)から汲んでいました。おちよぼが亡くなった後、おちよぼは、実如の命日に当たるこの御忌に合わせて、ヘビの体になって雲を呼び、雨を降らし、このお寺にやってきておまいりするというのです。
3月1日から3日間の御忌には、必ず天気が悪くなり、雪が降ると伝えられていますが、その伝承の通り、久しぶりの降雪に、お参りの方々は「おちよぼ伝説の通りやなぁ」と妙に納得顔で境内の雪を眺めておられました。
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