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あかつき太郎の町家日記

金沢町家ゲストハウス あかつき屋をめぐる出来事や思い、人とのふれあいなどをつづるブログ。街角の話題や四季折々の風情も紹介していきます。

あかつき屋のホームページはこちらです。

ふすまの柄 「無地の方が高級感」

町家の改装に合わせて、ふすまの柄を決めることとなりました。様々なふすまの写真を収めた見本集を渡され、取り急ぎ、その候補を決めたのですが、もう一つ自信がなく、菊川町にある瀬田表具店さんを訪ね、相談にのって頂きました。
自分が良いと思ったものに付せんをつけ、見てもらったのですが、ご主人は「模様のあるものは、今ははやらない。無地の方が高級感がありますよ」とあっさり言われました。

(ふすまの柄の見本)
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私は、1階は無地系でいき、2階は雲や草花などの模様をあしらったものにし、少しメリハリをつけようと考えていたのですが、瀬田さんは「模様が付いたふすまは、安っぽく、いい部屋に見えません」と、簡単に言われました。
そして、様々なふすま柄の見本帳を見せて下さいました。それを見ると、ふすまの雰囲気は、模様より生地の質や色で決まるように見え、その中では富山県の「城端ツムギ」という銘柄が、上質な風合いがあり、ひときわ光って映りました。

ただ、もとより値段も考慮しなければならず、そこら辺も加味して、柄と生地を決めることにしました。アドバイスを踏まえて、無地でいきます。

(左が1階のふすまの枠の角、右が2階のふすまの枠の角で丸くなっている)
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瀬田さんは、障子やふすまに関する良き先生です。今リニューアル中の町家のふすまについて、貴重なコメントを頂きました。
2階のふすまは、立派なお座敷があることから、高級な和紙を使っていることに加え、真ん中の障子の外枠にも違いがあるのだそうです。
「1階の障子の外枠の角は、角ばっているのに対して、2階のふすまは、角が丸くなっているでしょ。これはそれだけ、ぜいたくで凝った造りになっているんです」。
これまで全く気づかなかった点で、ただただすごい、とこの家の以前の居住者に感心するばかりでした。

さらに、ふすまの維持・修繕方法についても、豆知識を提供して下さいました。
ふだん掃除機などを動かしていると、ふすまを傷つけやすいので注意が必要であるとした上で、ふすまの黒い外枠を傷つけた場合の応急処置については、こう言われました。
「はげた部分は、油性の黒のマジックを塗れば、カバーできますよ」。







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左官のお仕事、壁材料さえ貴重

町家は、畳、ふすまの張り替えなどに続き、お部屋の壁の塗り替えもピークを迎えました。
左官屋さんが担う土壁の塗り替えは、洋風住宅が主流になりつつある今、その需要が減少し、壁塗りの作業を見ることは難しくなりました。それに伴い、壁材料の種類も少なくなっており、そんな業界状況を今回の町家リニューアルを通じて図らずも垣間見ることになりました。

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壁の塗り替えは、市内の田上町にある嶋田左官工業所さんが携わっておられます。その左官屋さんによると、新しい住宅で、土壁を使うケースは少なくなり、「新興住宅地の(内灘町の)白帆台や(金沢市の)瑞樹団地の家なんかは、8、9割はクロス張りじゃないかな」と嶋田左官さんは、おっしゃいます。
洋風住宅の中で、お座敷を造った場合でも、その壁は土壁のようなクロスを用いるケースが多く、左官屋さんの出番が減ってきているのは、事実のようです。

このため、壁材料の種類も少なくなり、今改修中のこの町家では、2階の壁について、従来どおり重厚さを尊重して黒っぽい色でいこうとしたのですが、現在、その壁材料がないそうで、いっとき墨を混ぜようかという冗談のような話も出たくらいです。

その後、適当な壁材料が見つかったので、その必要はなくなったのですが、それほど、壁の色の種類も少なくなり、結果、その色見本もごくわずかになりました。
1階の壁については、お座敷とほぼ同様のものが壁の色見本にあり、スムーズにいきましたが。

(1階の壁の色を決める際に参考にした見本)
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しかし、左官屋さんは、そんなことはおくびにも出さず、黙々と丹念に小手を使って壁を塗っておられます。
壁塗りの作業を間近に見るのは、おそらく子どものとき以来ではないかと思いながら、明るい色に変わる壁を気持ちよく眺めました。

この業界は日本の伝統家屋を守るという目標もあって、技術向上の意識は高く、各種のコンクールを開いているようです。嶋田左官さんは、そのような競技会での上位入賞もおありのようです。

そんな研さんを背景にして、この業界の腕利きたちが現在、石川門とそれに続く長土塀の修復に取り組んでいるとのことです(2010年9月2日付ブログをご参照下さい)。







一箱古本市 今度はお堂で

今年最後の一箱古本市が、主計町のお寺・源法院で開かれ、行ってきました。この日は雨模様なので、会場は境内からお堂の中へ。一般の人たちが、所蔵の本を木箱などに納めて即売するこの催し、会場がお堂となると何とも言えない親密な雰囲気が生まれ、いるだけで心がなごみました。

(お寺のお堂を会場にした一箱古本市)
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出店される方は、文芸書、美術書、技術書、ノンフィクション等々を雑多に出される方がいれば、あるテーマに絞って本を並べる方もおられました。

(山本裕之さんが並べた食関係の本の数々)
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その中で、先月に続いて店開きされた山本裕之さんは、「食」をテーマに集めた本を並べられました。それらは、居酒屋関係、ラーメン、回転スシ、さぬきうどん、そば等々と実に多彩。

実は山本さん、金沢信用金庫鈴見橋支店で現在、写真展を開かれており、カメラ撮影については、なかなかの腕の持ち主。その上ソフトボールも愛好されており、いっとき幾つものチームに所属されていたそうです。

長年サラリーマン生活をおくるかたわら、趣味も幅広く楽しんでおられ、まさに人生を謳歌されている感じです。

一箱古本市、本だけでなく、人との出会いの場にもなっているのですね。

にし茶屋街 「ちえ」さん「純子」さんって、どんな女(ひと)?

にし茶屋街にある検番事務所を初めて訪れました。玄関に入ったら、壁にうちわがいっぱい立て掛けてあり、その一つひとつには、芸妓さんの名前が書かれてありました。
「ちえ」「純子」「ゆき葉」「夕子」「まり千代」…。花びらが集まって一つの花をつくるように、うちわが白い花のように見えました。

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この日、西検番事務所では金沢市主催の講座「金沢くらしの文化再発見 茶の湯のもたらしたもの ~金沢のくらしと文化的景観~」が開かれたのでした。この検番事務所は大正ロマンが漂う建築物で、国の登録有形文化財になっています。それだけに、一度中に入ってみたいと思っていたのでした。

(にし茶屋街と西検番事務所)
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検番事務所はふだん芸妓さんの稽古場や西料亭組合の事務所として利用されているところ。建物の雰囲気といい、掲示板に書かれている内容といい、いかにも茶屋街の拠点施設といった感じです。

玄関の壁に据えられたうちわに記された芸妓さんたちは、にし茶屋街では第一線で活躍されている方々でしょう。
ただ、この花街は日中散歩がてらに通ったことがあっても、夜、玄関の敷居をまたいだことは一度もありません。

町家ゲストハウスにお泊りのお客さんが、そんな世界にふれたい、とリクエストされた時の対応方法は?
茶屋街は、金沢の魅力をつくる重要な要素ですから、そんな場合に備えておかないといけないですね。

なお、検番事務所けいこ場で開かれた講座では、北陸大学の小林忠雄教授が「金沢のくらしと文化的景観」と題して基調講演され、続いて、各分野の専門家4氏によるパネルディスカッションがあり、勉強になりました。



縁の下から「2升瓶」?

町家の基礎部分の点検を行うため、床板を外していた時のことでした。大工さんが「こんなもんが出てきたぞ」と言って、見せてくれたのは、大きな瓶でした。瓶の中ほどが、柔らかく膨らみ、普通の1升瓶とは違いそうです。
それより一回り大きいため、(有)嶋田工建の社長さんは「2升瓶じゃないかなー」とおっしゃいます。
2升瓶ってあったのでしょうか?

(見つかった2升瓶?と、回転式の瓶の蓋)
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これまでにお住まいのご夫婦からこの家の引き継ぎを受ける際、奥様がおっしゃっていたのを思い出しました。
「台所の床下に置いていた瓶が転がっていき、取れないままになっているんです」
どうもその瓶らしいのです。

1升瓶なら全く驚かないのですが、このビッグサイズの瓶、真ん中あたりが、たおやかにふくらみ、一種官能美(?)さえ感じさせるのです。それにしても、この瓶に何を入れていたのでしょうか。

また、瓶の蓋はコルクでなく回転式で、その瓶との接合部分はガラス製なのです。

(電燈の光を受け止め、淡い光を放つ瓶)
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ゲストハウスに向けた町家の設計監理をして頂いている、のりのりさん(山田憲子さん)は、ある発見をしました。
「瓶が光を通すと、とても素敵ですよ」。
「本当だ」。確かに、電燈の光を受け止めて、中にキャンドルが入っているように、瓶の中が淡く灯をともしているように明るいのです。
「洗えば、十分使えますよ」と、のりのりさん。

この掘り出し物の瓶、オブジェとして使う方向で、まず洗って、きれいにしたいと思います。








カラーとモノクロ、味わい異なる写真群

町家ゲストハウスのご縁でお知り合いになった男性からのご案内で、この男性が撮影した写真の作品展を見にいきました。
会場は、町家からほど近い金沢信用金庫鈴見橋支店のロビー。クラカメおろおろ散歩「モノクロ写真:想像と戯れが共存する世界?」と題されたこの作品展では、風景、人物など同じ被写体をカラーと白黒の2種類の写真で表現しておられます。
撮影場所は私がこれまで訪れたところも多く、親近感を抱きながら作品16点を鑑賞しました。

(カラーと白黒の写真作品が並んだ会場=金沢信用金庫鈴見橋支店)
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作品展を開かれたのは、会場近くに住む山本裕之さん(桜町)。山本さんは、モノクロ写真がお好きだそうで、今回の写真展では、カラー写真で撮ったものをプリント処理で、白黒にしたものも出品されています。

出品作の幾つかを紹介しますと、千里浜「カモメ舞う日」、新宿「盛り場裏通り」、富山城端「冬の寺院」、芸術村「跳ねる」、福井大野「年を重ねて」など。
同じ風景でも、モノクロになると、いっぺんに歴史的な味わい、雰囲気が醸しだされていました。

この作品展、12月24日まで開かれています。

古い畳 中も「お宝」がいっぱい

町家リニューアルに伴い、修繕を行っている古い畳。工事初日の時、畳をまくったら、日本の高度経済成長期にあたる昭和44年の新聞が出てきたのですが(10月28日付ブログ)、その畳の中から今度は、昭和13年5月18日付北國新聞夕刊が出てきました。その1面には「徐州大会戦 愈々迫る」の大見出しが躍っていました。
その畳の床(とこ)は、手縫いがされており、これまた珍しいもの。興味尽きない日々が続いています。

(畳の床から出てきた昭和13年当時の新聞。下はアップ写真)
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畳の表替えをされる倉西畳店さんから宿題を頂いていた畳の縁(へり)の色柄も決まり、修繕の様子を見せてもらうために、菊川町にある倉西畳店さんへ行ってきました。そこでは、畳に関するさらに有益なことを学んだのです。

畳と床板の間に新聞を敷くのは、防虫やすき間風を防ぐためであることは、畳を搬出する際に、倉西畳店のご主人からおそわりました。今度は、畳表を外した後の畳の床に新聞が付けられています。
「なぜ、こんなところに新聞があるのですか」。私は率直に尋ねました。
ご主人は、こう説明されました。
畳は、人が足でよく踏む場所にへこみができる。このため新聞やござを畳の床のへこんだ部分に足して、表面を均等にするのだそうです。
確かに、新聞のほかに、ござの切れ端が床に貼り付けられていました。

それにしても、「徐州大会戦 愈々迫る」と、時代がかった見出しが躍る新聞が貼り付けてあるとは。徐州大会戦は、第二次大戦前、日中戦争中の大規模な戦闘のこと。そんな新聞を中に入れて、これまで人が暮らしてきたんですね。

ご主人は、さらにこう付け加えられます。
「(畳の)床自体、最初から変えていないのでは」。というのも、昭和8年建築のこの町家で、昭和13年当時の新聞が中にあることに加え、床が手縫いであるからです。
そして、そばにある機械縫いの畳を示されました。

(左が手縫い、右が機械縫いの畳の床)
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そばにおられる奥さんも「古い畳と言っても、今どき手縫いされている畳なんて、まれやは」と力を込めておっしゃいます。
私は、なるほどとうなずきながら、奥さんは仕事のパートナーとして、よくご主人と外へ一緒に出かけられるのですが、ふだん仕事場でも、ご主人をサポートされているのだなと、感じました。

で、ご主人は「この古い新聞をお上げしましょうか」と聞かれました。
私は、一瞬迷いました。もらったとしても、どう保管しようか。
私は元にしておくのが一番と思い、
「新聞は、畳の床にまた貼っておいて下さい」と答えました。

歴史的な新聞を納めた畳は、表替えや縁付けを行った後で、元あった1階お座敷に戻されることになります。

「腰張り」 ご苦労さま

町家は、今日から家の内部の壁の塗り替えも始まりました。その際、これまで壁の下部に帯状に付けられていた「腰張り」と呼ばれる一種の和紙が、姿を消します。
これは土壁ではよく用いられるもので、壁が崩れるのを防ぐためのものです。この町家に入居以来、これまで見てきただけに、一抹の寂しさがあります。「腰張り ご苦労さま」と言いたい心境です。

(腰張り)
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この町家は、今では珍しくなった土壁(砂壁)が使われていました。町家の障子、ふすまの張り替えをお願いしている瀬田表具店さんによると、土壁は砂のもつ独特のふくらみ、やわらかさが魅力です。
ただ土壁は、砂が落ちやすいのが、難点と言えば難点です。家にいれば、壁に接触すると砂が落ちてくる場合があるので、障子やふすまと同様、町家はデリケートだなと思って、穏やかに過ごすように努めています。

昔の土壁はこのように砂が落ちやすいので、足などの体や布団が接触しやすい下部に、それを防ぐために「腰張り」と呼ばれる和紙が貼られてきました。加えて腰張りは、部屋を引き締める効果があります。
土壁で造られているこの町家では、土壁の部分は、高さ9寸(約27㌢)の腰貼りがはりめぐらされています。

しかし、最近の壁は崩れにくい材質になったので、腰張りは全くと言っていいほど使われなくなりました。「腰張りの良さを分かる人も少なくなった」(瀬田表具店)せいもあるようです。
今使用されているのは、お茶席などの会場となるお座敷が多いそうです。それも本来の目的よりは、デザイン性を意図してのことのようです。

(新たな壁となる色のサンプル)
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土壁から崩れにくい現代の材質の壁へと、左官屋さんによって、塗り直されます。壁の色合いや雰囲気は、これまでの色調を尊重することにし、写真のサンプルから選ぶことにしました。












掘りごたつ 作ってます。

ゲストハウスへと生まれ変わる町家のリニューアルが、活発化しています。その中で、目玉と言える工事に着手されました。1階コミュニティ・ルーム(旧茶の間)の掘りごたつ作りです。大工さんは、床板を掘りごたつ分の広さに切り抜きました。

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町家のリニューアルは、畳、ふすま、壁など、古いものを新しくするだけではありません。ゲストハウスという場を通じて、様々な人が出会い、語らい、なごやかな時間を過ごしてもらえればと願い、掘りごたつを新設することにしました。

掘りごたつのスペースは、畳1畳分と大きめで、詰めれば8人ほど入れる広さがあります。この掘りごたつを置く部屋は、1階の中心・コミュニティ・ルームで、お客さんがここに集い、ほのぼのとしたひとときを過ごしてもらえればと考えています。

そんな日が、やがて来るのでしょうか。何か信じられないような気もします。
とにかく、いいお宿をつくるために、こつこつと準備を進めていきます。あわてず、丁寧に、細やかに。






坂道彩る紅葉 あちこちに

坂の町とも言われる金沢。その坂道にこの時期、見事な紅葉が彩りを添え、その存在感を際立たせています。特に小春日和に恵まれたこの週末、これ以上のものはないのでは、という美しい景観を見せてくれました。
市内を移動中に出くわした坂道の紅葉絶景スポットを拾ってみました。

(八坂とその付近の紅葉)
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兼六園の小立野側から暁町にある町家ゲストハウスへは、この道を通れば最も近いと言えるのが、八坂を通る道。この坂道、急ではありますが、坂から前方を見ると卯辰山が望めます。
坂のふもとには、松山寺があり、その境内の樹木は、今が見ごろとばかりに色づいていました。このお寺の周辺には、赤や黄色に色づいた木々が何本もありました。

(広坂の紅葉)
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兼六園の紅葉は、言うまでもないところですが、真弓坂口に隣接する広坂の石浦神社側にも、種々の色に染められた樹木が並んでいます。車で通れば、目に留まりにくいのですが、歩けばいやがうえにも、その紅葉が視界に入ってきます。21世紀美術館付近から、県立美術館へ行く坂道は、心地良いものでしょう。

(桜坂とその沿道の紅葉)
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意外と知られていないと言えるのが、犀川から寺町台へと上がる桜坂沿いの紅葉。坂の途中から犀川方向を望めば、手前に色づいた葉を広げた木があります。町並みや空とのコントラストが鮮烈です。

坂を登りきった左手には、楓でしょうか、これまた素晴らしい紅葉が見られます。個人のお宅にあるものですが、その美景は、特筆されて良いのではないでしょうか。

紅葉と一口に言っても、木の種類や時期、場所によって表情が異なり、その中で坂道に沿う紅葉は、周辺や背後の風景と合わせ、格別の風情を呈するようです。
絶好の秋晴れに恵まれた今日、坂道などの紅葉により、「燃える秋」を身体いっぱいに感じることができました。