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あかつき太郎の町家日記

金沢町家ゲストハウス あかつき屋をめぐる出来事や思い、人とのふれあいなどをつづるブログ。街角の話題や四季折々の風情も紹介していきます。

あかつき屋のホームページはこちらです。

「贈り家」で生まれ変わる町家

「おくりいえプロジェクト」という催しが、市内の芳斉町の町家であり、行ってきました。
これは、住む人がいなくなり空き家状態となった古い町家が、新たな居住者へと引き渡される際、お掃除などを行って、きれいにする催しで、それに参加した人は、その家の中に眠っていた「お宝」を頂けるというお得なもの。
この日、大勢の人が訪れて、町家はすっきりしました。

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「おくりいえ」は映画「おくりびと」の家バージョンで、これまでの「おくりいえ」は、解体されるケースが多かったのですが、今回は新たな住まい手があり、「贈り家」という名称で実施されました。

この催し、発起人が私どもの町家ゲストハウスの設計監理をして頂いている1級建築士山田憲子さんです。山田さん、町家保全に全力投球の毎日です。

この日訪れた人は、市内のほか、福井や静岡などの県外からも。また、学生さんもボランティアで多く参加されていました。

「贈り家」となる町家は、長年米屋をされていた家で、年代物の家具や食器類などの「お宝」がいっぱい。
素敵な小物入れなどを見つけられた女性もいて、ブログ掲載の許可を得て、写真を撮らせて頂きました。

ここでの「贈り家」は、21日も実施されます。







しいのき迎賓館前に しいの実

小春日和の下、自転車でしいのき迎賓館前を通っていた時のことでした。
「しいの実が、いっぱい落ち取るがいね」「どこ?」「ここにいね」
などと、女性たちが、声高に話している声が、耳に入りました。そこは、「堂形のシイノキ」のそば。私は自転車を下りて、木の根元付近を見渡すと、しいの実があちこちに落ちていました。

(堂形のシイノキ)
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(シイノ実を拾う女性たち)
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堂形のシイノキは、樹齢約300年と言われ、国指定天然記念物になるほど、堂々とした姿形をしています。シイノキですから、実がなり、落果するのは当然のことなのですが、街のど真ん中で、実をならせ、はじけて実を落とすことが、なぜか新鮮で不思議な感を抱きました。県庁が駅西に移る前に、ここにあった時も、このシイノキは、同様に実をならせていたのですね。

(落果したシイノ実)
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先の女性たちは「私ら子どものとき、よく(しいの実を)取ったもんや」と言いながら、腰をかがめて、一つ二つと実を拾っていました。

そのそばで、別の女性は、いもり池の方をみやりながら、テニスコートがあった当時のことを思い起こして「娘があそこで、よくテニスをしたもんやは」と、懐かしげに話していました。

電飾、「いつの間にか、こうなったんです」

【前回の続きです】
横山町の広見界隈の夜を豪華イルミネーションでファンタスティックに演出しているお宅は、ご夫妻が夢やロマンにあふれる方でした。お話をうかがう機会を頂いたのですが、毎日を楽しくする工夫を積極的になされており、こちらも明るい気持ちにさせられました。

(玄関に並んだクリスマスの飾り)
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クリスマスにちなんだイルミネーションのような飾り付けは、屋外だけではなかったのです。
玄関に入ると前方、左右、階段、天井にまで、サンタクロースやクリスマスツリー、三角屋根の家などが、ひしめくように並んでいるのです。

私が驚いていると、奥様は笑顔で「まぁ上がりませんか」と応接室に通されました。
屋外のイルミネーションと合わせ、「すごいですね。住宅でこんな見事なイルミネーションは、見たことがありません」と言うと、奥様は「ただの、うれしがりなんですよ」と笑みを浮かべておっしゃいます。
奥様は、イルミネーションを見て、通りがかりの人が喜んでくれるのが、何よりうれしいのだと言います。

奥様によると、初めてイルミネーションを飾りつけたのは、2004年のこと。「季節を楽しみたい」との気持ちで、一人で外の塀に1つずつ飾り付けていったのでした。そうこうしているうちに、近所の人から「庭木に(イルミネーションを)付けたら」と勧められ、早速実行。案の定、光の彩りが広がりました。

(初めて飾った2004年のイルミネーションの写真)
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このクリスマスシーズンが近づくと、年ごとに熱を帯び、イルミネーション飾りを買うために、あちこち出向いているとのこと。
「ニトリ、アピタ、ムサシ、カーマ、エムザにこれまで行きましたし、通販も利用しました」。その上、イルミネーションがきれいなところとの噂を聞くと、足を延ばし「(旧松任市の)千代野や(金沢市の)寺地も行って見てきました」と奥様はおっしゃいます。そして、年ごとに、電飾の数が増え、「いつの間にか、こうなったんです」(奥様)。

今年のイルミネーションの飾りつけは、この前の土、日(13、14日)に家族総出で行ったそう。しかし、2階部分は、風に吹き飛ばされないように、「知り合いの電気屋さんにしてもらいました」(奥様)。

例年、この噂を聞きつけて週末の夜には、家の前にいろんな人が見に来るそうで、「(白山市)鶴来から来られた人がいます」(同)。奥様は「携帯(電話)の写真が、あちこち流されることもあるんですかね」と言います。

ただ、一緒に電飾の飾り付けを行った社会人の娘さんは、奥様に「恥ずかしいから、もうやめて」と言うそうですが、だんなさんは、シーズンが近づくと「今年もやるぞ」と意気込みを見せておられるそうです。

豪華イルミネーション、心も明るく

日が短くなり、寒さが募る11月後半。ちょっぴり憂鬱になったり、また師走を控え、気ぜわしさが増す季節と言えるかもしれません。そんな中で、夜、見た目だけでなく、心も明るくしてくれる風景に出会いました。
横山町の広見のすぐ近くのお宅に、豪華イルミネーションが輝いていたのでした。光でサンタやトナカイ、お星様などが形づくられており、「ファンタスティック」の一語に尽きます。

(住宅に飾られた豪華イルミネーション)
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香林坊の大通りの樹木のイルミネーションならいざ知らず、住宅街でこれほどスケールの大きいイルミネーションは、これまで見たことがありません。数日前の日中に前を通りかかったら、家の方が電飾の設営をしておられたようですが、こんなにも素敵な光の世界をつくられるとは、びっくりです。
軒下、屋根、窓、壁面、樹木、垣根などに付けられた色とりどりの電球は、いくつあるのでしょうか。取り付けににも骨が折れたのでは、と思います。

それにしても、この広見界隈、素晴らしい夕焼けに出会ったり(10月29日付ブログ)、野菜の市(11月9日付ブログ)が開かれたりと、何かいいことありそな広場です。




「あっ、アンテナがゆがんでいる」

昭和初期に建築されたこの町家、古さとともに謎めいた(?)部分も、そこかしこにあります。その一つが、不思議な窓ガラスです。これは2階の縁側にあり、ガラスを通して外を見ると、景色がゆがんで見えるのです。

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この不可思議な現象は、ここに訪れたお客さんによっておしえてもらったのでした。この方は、そのガラスを指差して「アンテナが、ゆがんでいるでしょ」と、そのガラスが今日のものと違っていることを指摘されたのでした。
確かにおっしゃる通り、本来真っ直ぐのはずのアンテナが、べこべこと曲がっている。目の錯覚というより、このガラスを通しているため、そう見えるのです。

このガラスが造られた当時は、今ほどガラスの製造技術が発達していなかったため、外の景色を正しく映し出すものができなかったのでしょうか。

一方、同じ窓でありながら、他のガラスは不透明のすりガラスが入っています。なぜ1枚だけ、こんなガラスが入っているのでしょうか。
(有)嶋田工建の社長さんは「ガラスが1枚だけ割れたが、すりガラスは値段が高かったため、この(透明だが外の景色がゆがんで見える)ガラスを代わりに入れたんじゃないですかね」と推測します。

このガラス窓は、未成熟な商品というより、今となればレトロな雰囲気を醸す貴重な建具になっています。





配電関係機器も昔懐かしく

ゲストハウスへのリニューアル工事を行っているこの町家では、週明けとともに電気関係の工事にも着手されました。工事担当者とともに、配電関係の器具や電線について点検しながら、取り扱いを検討、昭和の趣が漂う器具については、残す方向で整備することになりました。

(昔懐かしい配電器具)
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以前に住まわれた方が家を大切にされたお陰で故障等はほとんど見られないのですが、電気系統については、故障がなくても「何10年選手」(電気工事業者)のものがあり、安全第一の下、電線などはこれを機会に更新することになります。

その中で、昭和の香りを強く放っている配電器具があります。例えば1階茶の間には、電気の切り替え器具があります。レバーを上下することによって、電気を通したり、遮断したりする器具です。
見た目が、時代がかかっており、加えてその操作も、いかにもアナログなので、電気器具としての機能はさせないのですが、原状のまま残すことになりました。

(ヒューズを納めた回路)
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また、使用電力が容量を超えた場合、自ら溶けて電流を断つヒューズの入った回路も、残すことにしました。すすけた外見のこの器具も、やはり何とも言えないレトロな雰囲気を出しているからです。
これも、電気系統の刷新に合わせ、機能はストップさせます。

実は、ある出来事により、この回路を開くことがあったのですが、中には、はんだ付けされた針金状のヒューズが納められていました。右側の回路が1階部分、左側の回路が2階部分を受け持っており、長年けなげに働いてきたんだな、と労をねぎらいたい気持ちになりました。






かなざわ市民マラソンを終えて

今日、晩秋の恒例行事・かなざわ市民マラソン(10㌔)に参加しました。曇り空、微風と上々の天候で、快く走れたのですが、タイムはもう一つで、いつものことながら、その原因を探りながら、次の大会へと気持ちが向かう自分がいました。

(スタートしたかなざわ市民マラソン10㌔の部)
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今回の市民マラソンについては、先の11月3日に参加した菊花マラソン(福井県越前市で開催)を基準にして、どれだけタイムを伸ばせるかというのが、テーマでした。菊花マラソンから10日ほどしか経過していないため、劇的な記録更新を望むのは、現実的ではないのですが、それでも1秒でも記録を縮めたいというのが人情。

市民マラソンは今回はコースが一部変わり、市営陸上競技場を2周半してから市街地へ出ることに。
また、昨年までは、片町交差点を左折して犀川大通りを経て、下菊橋を渡り、陸上競技場へ帰ってきたコースが、今回は片町交差点をそのまま直進し、野町広小路を経て有松の交差点そばを左折して、陸上競技場へ向かうコースになりました。

往路の小立野に上がる坂は、だらだらと続き、しんどかったのですが、その坂を登りきった後は比較的順調に走れたように思います。結果は菊花マラソンの記録より1分近く速かったのですが、でも目標としたタイムより2分ほど遅くなりました。

直接的なマイナス要因をあえて挙げれば、スタート後競技場を2周半する間、大勢の参加選手で混み合い、前へ思うように進めなかったこと。また、これは一つのハプニングと言えるのかもしれませんが、野町広小路交差点で、車を通すのに停止を求められ、20秒ほどタイムロスが生まれたことでした。

レース運びの一方、こちらの理由の方が、むしろ重要なのでしょうが、やはり身体の絞り込みが不十分なこと。成績上位者は例外なく、引き締まったスリムな体形をしており、厳格なウエートコントロールをしないのに、好結果を望むこと自体間違っている、といつものことながら思ってしまいます。

さらに、走り込みの量や方法は、適切であったか。
走る前のウオーミングアップは、十分だったか。朝食の内容は適切だったか、とチェックする箇所は、多々あります。
そして何より、避けられない加齢が加味されてくる訳ですから。

これらの様々な関数が働き、レース記録が出てくるのですね。
それだけに、マラソンは奥が深く、人をとりこにしてやまない魅力があると実感します。

(美しいバラの花)
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 目を楽しませてくれるバラ園
なお、市営陸上競技場に隣接するバラ園では、シーズンが終わりに近づいているものの、美しいバラの花が見られました。鮮やかな色の花びらが、周囲をパッと明るくするようでした。

















発見!近所にたい焼き屋さん

町家ゲストハウスから歩いて5分ほどのところに、たい焼き屋さんを発見しました。名前は、「お焼き より道」。そこは、兼六大通り沿い小将町にあります。
(「お焼き より道」さん)
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大通りに面するギフト&コーヒー「Michi」の奥側にあり、ちょっと分かりにくいんですが、コンパクトな店内は、それだけに落ち着いて、アットホームな雰囲気があります。
今日、食べたたい焼きは、あんこが自慢というだけにとてもおいしく、またコーヒーも豊かな風味でした。
(たい焼き)
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お店には、この日も何人ものお客さんが来ており、私と妻も、その人たちと楽しいおしゃべりをさせて頂きました。ここは、店の温かい雰囲気にひかれて、人がよく集う場になっているみたいです。

(野菜の販売スペース)
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お店の前には、山あいの俵町の畑で採れた新鮮野菜を販売するスペースがあります。お店の方が栽培したもので、1つ50円からと、とてもお安いので、人気があるようです。



大坂城造営、加賀藩も加わった!

「日本三名城の一つ大坂城の造営に加賀藩も加わっていた」。昨日県立美術館で開かれた金沢城大学で講師の木越隆三県金沢城調査研究所副所長が「天下普請と金沢城普請」と題した話の中で披露したものです。
何年か前に大坂城を訪れ、その時はこの地で壮絶な大坂冬・夏の陣が繰り広げられたことを屏風絵などで学びましたが、今回は築城に関わる加賀藩との関係について知り、さらに郷土史への興味が増しました。
(大坂城)
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加賀藩が関わった大坂城の造営は、大坂の陣以後の徳川大坂城と言われた時代のこと。3期に分けて行われ、加賀藩は前田利常組が、他の諸藩とともに、主に石垣の建造に当たったのでした。

その石垣の造営は、自藩の技術力や統率力が試される機会であったようで、歴史資料に加賀藩の一行が、工事が終了し、さぁ帰国しようとした際、検査に当たった公儀普請奉行から、クレイムがつけられ、危うく工事し直しになるところで肝を冷やしたとの記述があります。

(「江府天守台修業日記」に添付された絵図)
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ただ、このような城造営のための「出稼ぎ」は、苦しいことばかりではなかったよう。江戸城天守台の石垣普請について記された「江府天守台修業日記」に添付された絵図では、地方から来た大勢の男たちが、綱でくくりつけた大きな石を引っ張る姿が描かれています。
その男たちの表情には、高揚感があり、生き生きとした雰囲気があふれています。石の上に乗っている数人の男たちは、綱を引く男たちを鼓舞しています。

まるで、お祭りで曳山を引くよう。美川のおかえり祭りや、七尾の青柏祭などを思い出しました。
男たちは日中の仕事が終わったら、お酒など飲み、疲れをいやすとともに、芸事にも興じたようです。
いつの時代でも、「出張」は心浮き立つところがあるのですね。









屋根裏に ぐるり防火壁

ゲストハウスへと生まれ変わる町家のリニューアル工事については、古いものを新しくすることだけにとどまりません。実はこれが最も重要と言えるのが、お宿としての法的基準を満たすためのリフォームです。一般にまず知られていない改造の一つとして、階段上の屋根裏部分の防火壁の設置が挙げられます。
(耐火ボードを貼る前の屋根裏)
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私どもが開設する町家ゲストハウスは、旅館業法の基準で言えば、食事を提供しないことや、広さなどの条件から簡易宿泊所のカテゴリーに入ります。
このようなお宿を開く際の法的規制では、代表的なものとして、建築基準法や消防法、旅館業法が関係してきます。
その上、自治体関係のものとして、都市計画に係る用途地域や景観に関する基準なども満たす必要があります。
(ボードをのこぎりで適当な形に切る大工さん)
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お宿を開こうと思い立っても、実に数多くの法的規制があるため、そう簡単にはいかないのです。このため、実は私どもも入り口の段階で随分と気をもみました。
それらの点に関しては、この町家が「奇跡」(自治体関係者)と言われるほどに、ほとんどクリアしており、あとはいくつかの点を工事で満たすことになります。

(柱の間に貼られた耐火ボード)
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その代表的なものが、階段真上部分の天井裏の防火壁の設置です。既にこのブログで記載しましたが、この町家は3階と言えるほどに広い屋根裏をもっています。
しかし、万が一に備えて、階段の真上に当たる屋根裏の空間は、四角い煙突を造るように壁で囲う必要があるのです。

このリフォームの本体工事では、まず最初に、この改造から着手されました。
(有)嶋田工建のベテラン大工さんも、「こんな仕事は初めてや」と最初は戸惑いを見せながらも、忠実に几帳面に、階段の真上に当たる部分に木の骨組みを作り、耐火性のある石膏(せっこう)ボードを貼り付けていっています。
屋根裏は、様々な柱が張り巡らされており、中にはカーブしているものがあり困難な部分もあるのですが、そこは熟練した腕をもつ大工さん。のこぎりを巧みに扱って、柱のすき間にぴったりと収まるように、ボードを切っておられます。
大工さんは「なかなか、せいた訳に(急ぐように)いかんはー」と苦笑気味に言われますが、私は「急いでいませんから、マイペースでやってください」と応じています。

昭和初期に建築されたこの町家。歴史的な面影を残すことはもちろん大事ですが、安全・安心なお宿にすることが、何より第一ですから。