早朝、雪が降り、街は再び真っ白に。でも、人の表情は、険しくありません。この時季の雪は、すぐには溶けると知っているから。
ご近所の方は、雪かきしながら「(雪は)半日もすれば、なくなるよね」と言いながら、慣れた手つきで雪をスコップで道路わきに運んでいました。
そんな朝、あかつき屋のお客様と、近くの
馬坂へ歩いていく機会がありました。坂の中腹にさしかかり、街を見下ろすと、美しい雪景色が広がっていました。金沢のなごり雪。旅人たちに、素敵なプレゼントをしてくれました。
(天神町界隈の美しい雪景色。馬坂の中腹から見下ろす)

日曜から一泊されたお客様は、横浜の大学で建築学を専攻される学生さんのグループ。やはりあかつき屋の近くで、こまちなみに指定されている天神町の通りに関心を示され、ご案内したのでした。
途中、馬坂に上がる小道があり、登っていくことに。くの字のカーブを曲がって、しばらくしたら、歓声が上がりました。眼下に素敵な景色が広がっていたからです。
私は、この馬坂を何回も登っています。四季折々に風情のある眺めを楽しんでいるのですが、今見ている風景は、もしかして最も美しいものではないか、そう思ってしまうほどに、それは見事でした。
手前には、天神町の家並みが続きます。雪に覆われている屋根が多い中で、黒瓦が表れているものがいくつかあります。こうして、雪の白が視界の大半を占めていると、瓦が黒であることが、とりわけ強く印象づけられます。
瓦屋根の黒。それは、金沢の色と言ってもいいかもしれません。そして家々が続く背後には、雪にけむった卯辰山が左右に延びています。水墨画のような、この淡い雪景色は、気温が上がると直ぐに消えてしまうので、貴重な片時の風景と言えるかもしれません。
お連れしたお客様たちは、この風景を逃すまいと、熱心にカメラのシャッターを切っておられました。
(馬坂不動尊で湧き水をすくうお客様の学生さんたち)

そのすぐ上には、小立野台地の湧き水が落ちる、馬坂不動尊があります。メジャーな観光地を紹介するガイドブックには出ていない、穴場的スポット。
学生さんたちは、眼病に効くとの言い伝えがある、その湧き水をすくって、ご利益を願っているようでした。
ここ一、二日、数日ぶりの雪となりました。2月も末ですから、名残(なごり)雪と言えるかもしれません。
そんな中、あかつき屋の仕事の合間を縫って、ふだん訪れることのない、金沢では由緒ある坂を友人らとともに歩いて訪れました。
そこは、観音坂。中腹には、昨年10月にオープンしたという町家づくりのカフェ「観音坂いちえ」があり、しばし歓談の時間をもちました。
(観音坂。数日ぶりの雪で静かなたたずまいを見せていました)

観音坂は、ひがし茶屋街の山側にあるところ。夏の四万六千日法要で知られるお寺・観音院へと続く坂道です。
七稲地蔵で有名な寿経寺から、ちょっといったところにあります。
訪れた時は、雪が降っていました。滑らないように足下に気をつけながら、一歩一歩階段を上っていくと、お目当ての町家カフェ「いちえ」さんがありました。
(観音坂の中腹にある町家カフェ「いちえ」)

このカフェは大正9年に造られた建物を昨年改築して、オープンしたそうです。店内は町家独特の深みと落ち着きの中にも、現代的なセンスも感じられます。
(窓外には、雪で白くなった家並みがありました)

窓外は、そんなに激しくないものの雪が降り続いています。浅野側河畔に広がる町の風情を楽しみながら、友人らとともに近況などを語らいました。
お客様をお送りした後の昼過ぎ、妻とともにあかつき屋から歩いて県立美術館を訪れました。見学後、その裏手にある小道を散策しました。木々はさらに紅葉の度合いを進め、色鮮やか。雨上がりだけに、一帯は、ひんやりとした空気が満ちる中、葉のざわめきや水の音を耳にしながら、ひとときを過ごしました。
(県立美術館裏の小道。木々の紅葉が美しい)


県立美術館では、北國水墨画展が開催されており、それに父が近作を出品しているので、鑑賞で訪れたものです。見学後、美術館の喫茶店でお茶しようとしていたのですが、満席のためかなわず、ふらりと裏手に出ました。
そこには、崖に沿って小道が整備されていました。適度にカーブしているので、景観としてよいばかりか、歩いていてもどこか心弾む感じ。晩秋の木々の色合いの妙を楽しみながら、気ままに歩きました。
(繁みの間から21世紀美術館=手前と市役所=奥が見えます)

途中、繁みが切れたところがあり、そこから下界が望めます。下はどこだろう。見下ろすと、金沢21世紀美術館と市役所が正面にあるのでした。緑の小窓から、アートのトレンドの最先端をゆく21世紀美術館と金沢市の行政の中心が見えるわけで、金沢の中心部を象徴する風景のように映りました。
(本多町へと下りる階段。傍らでは、滝が水しぶきを上げて流れています)

小道から、本多町方向へ下りる階段があります。市中村記念美術館へと通じる道です。傍らには、滝が流れています。雨の後とあって、ふだんより水かさが多いようです。
周囲がとても静かなだけに、滝の水音は、荒々しくさえありました。
あかつき屋にお泊まりのお客様をお送りした後の昼下がり。小立野に行く用事があったので、今日は木曽坂を通っていこうと思い、永福寺手前にさしかかったところ、左手に見慣れぬ坂道があります。
細く、薄暗い坂。どこに続く坂だろう。立ち止まって上を眺めていると、近隣に住んでいると思われる男性から声をかけられました。聞けば、その坂、「裏門坂」と言うそうです。
(細く、昼なお暗い「裏門坂」)

私が、この坂に興味をもった雰囲気を漂わせていたのか、その男性はもの慣れた調子で、問わず語りにいろいろと教えて下さいました。
聞けば、この坂は、「裏門坂」と言い、前田家の菩提寺として知られる宝町の宝円寺へと続く坂道だそうです。
宝円寺は以前に小立野から行ったことがありますが、そのふもとからは、こんな坂道から行けるのか。不思議な気持ちになりながら坂を上がって行くと、道々、男性はいろいろと教えて下さいました。
「裏門坂というのは、宝円寺がかつて正門がこちら側(ふもとの扇町側)にあったのが、藩政時代、火事や大雨などの災害により、宝円寺が再建され、正門が馬坂側に移ったそうです。このため、ここが裏側になったため、その名前が付いたんです」
(裏門坂中腹から見下ろす。賢坂辻界隈の家並みと卯辰山が望めます)

さらに男性は話しを続けます。木曽坂がある木曽谷は、深閑とした様子が、信州の木曽に似ているからその名が付いたこと。
またこの裏門坂付近で起こった藩政時代の秘話や、この坂付近は自然が多いことから、ムジナのような小動物が見られることなども説明されました。
そんな話しに素直に頷けるほど、この坂道付近は、身も縮むような神秘さを備えています。よく通る八坂と違って、この坂は両側から木々が坂にせり出し、日の光と視界を遮っています。
外灯が、数カ所に設けられているとはいえ、夜、男でも一人歩きするのには、勇気がいる感じです。
そうこうするうちに坂道を登り切り、さらにその男性の後を付いていくと、墓地群に出ました。そこは、宝円寺の裏手にある墓地だそうです。
(宝円寺の墓地にある前田家ゆかりのお墓)

お寺でありながら、鳥居が続く珍しい一角がありました。なんか、恭しい佇まいです。
男性は、言葉を添えました。
「前田家ゆかりのお墓です。江戸時代までは、そんなことがなかったのですが、鳥居があるのは、明治になって(葬祭が)神式になったからではないでしょうか」。
鳥居は、明治になってから建てられたとの見方があるようです。
あかつき屋からお客様を兼六園までご案内する通り道にある八坂。そこに、フランスの都市の名前があることを知りました。
今朝、日本人女性とフランス人女性2人の3人のお客様をお連れして、八坂を上っている途中、フランス人女性が驚きの声を上げられました。「あっ!ディジョン!!」。立て看板にフランスの都市ディジョンが書かれているというのです。
(八坂にあるDijonと記された看板)

あかつき屋にお泊りになったこのお客様は、建築を学ばれる3人です。現在大学院生である日本人女性Kさんが、フランスに留学された際にお知り合いになったフランスのお友達2人とともに、あかつき屋にお越しになりました。
兼六園へと行くいつもの坂道である八坂。そこに意外な発見がありました。
坂の石段を上がっている途中、フランス人女性から声が上がったのです。「ディジョン!」と。
思わず振り返ると、看板を指しておられます。
それは、ユニーク看板で知られる「のうか不動産」さんのアパートのそれです。
「Dijon」と記されていました。
何のことか分からず尋ねると、フランスの都市の名前だそうです。
「え?そうなんですか。そこは、どこにあるんですか」。
するとKさんが説明して下さいました。
「フランス内陸にある都市です。マスタードで有名です」
そこは歴史的建造物も多く、「きれいな町」(Kさん)だそうです。
へぇー。そうなんだ。で、何でここにそんなフランスの町の名前が付いたアパートがあるんだろう。
こればっかりは、のうか不動産さんに聞かないと分からないところです。
八坂は、坂の町・金沢の風情を漂わせているだけではないのですね。
(八坂を登りきったら、前方に紅葉始まった兼六園が)

坂を登りきったら、一同からまた声が出ました。兼六園の木々の紅葉が始まっているのです。
昨日通った時は、気がつかなかったのに。わずか一日の違いで。
百万石の城下町、秋深まる、ですね。
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