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あかつき太郎の町家日記

金沢町家ゲストハウス あかつき屋をめぐる出来事や思い、人とのふれあいなどをつづるブログ。街角の話題や四季折々の風情も紹介していきます。

あかつき屋のホームページはこちらです。

「あかつき屋」 看板掲げました。

晴れ間が広がった本日午前、町家に看板「あかつき屋」を掲げました。この家でこれまで壁の塗り替えや畳の表替えなど様々な改装工事が行われてきましたが、看板の設置は従来の工事とは印象ががらりと違いました。
いくらここは商売を営む場所と思っていても、周辺の方々からすれば、その外見から住居としか見えません。今ここで看板を掲げた途端、事業を行う場所ということが外にも鮮明になり、緊張感が生まれるとともに、ある種の高揚感もありました。

(兼六大通り側のメーン看板)
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(クスリのアオキさん側のサブ看板)
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看板は、兼六大通り側と、クスリのアオキさん側の2個所の壁面に付けました。製作に当たっていただいたのは、リーズナブルの料金でいい仕事をされるということで、達磨堂看板(能美市)さんにお願いしました。

看板については、できるだけ手作りで行おうと、あかつき屋の題字は、妻が毛筆で書きました。材料の板については、クスリのアオキさん側の小さめの看板は、この町家の屋根裏部屋に残っていた板を使い、大通り側のメーン看板は、達磨堂看板さんに厚手の材料を探してもらいました。

題字の字の配置により、看板は正方形になりました。メーン看板は70㌢四方とそんなに大きくもないのですが、正方形という形がユニークなせいか、大きさ以上に存在感がありました。
達磨堂看板さんには、地板への下塗りや漆を材料にした字の塗り付けなどを上手にやって頂いたおかげで、背後のこげ茶の板壁とマッチし、良い仕上がりになりました。

看板を掲げることによる気持ちの変化は、どう説明したらいいのでしょうか。それは、生まれて間もない自分の子どもに名前を付け、役所に届け出る感覚とでもいうのでしょうか。
胸に温めてきたものを世間に提示する。そこには、生みの喜びがある一方で、これからしっかり育てていかないといけないという責任感も生まれます。ネット上のブログで書き連ねているのとは、全く別の次元ですね。

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  試みにのれんも吊るす
達磨堂看板さんには、玄関に掲げるのれんの取り付け器具も作ってもらいました。趣のある木製の器具で、試みにのれんを下げると微風に揺られ、いい雰囲気を出していました。

いくら兼六園から近いとは言え、この界隈は基本的には下町風情を残す住宅街。それが築80年の町家に看板と、のれんを掲げると、一気にムードが変わり、ここが観光地になったみたいでした。








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手作り上掛けのせ、掘りごたつできました。

町家ゲストハウスのコミュニティ・ルームに設置する掘りごたつが出来ました。こたつ本体に電熱器を取り付け掘りごたつは完成、さらに布団と上掛けをかけたら、いっぺんに団らんムードが漂いました。特に上掛けは、妻の友人Mさんに手作りしてもらったものだけに、なおさらあったかい気持ちになりました。

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(掘りごたつの上掛け)
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掘りごたつは、8人は入れる特大サイズなだけに、こたつ布団や、上掛けを準備するのも一苦労しました。上掛けについては、市販されている適当なものがなかったため、裁縫上手な妻の友人Mさんに手作りしてもらいました。
その友人は、実家がご商売を営んでいるので、商売の厳しさを肌身で感じておられます。それだけに、この上掛けには、私どもの前途に期待する真心がこもっており、ただただ感謝しています。

上掛けの表面は、金沢弁で言うところの「愛想(あいそ)らしい」招き猫がいっぱい。
この猫に誘われて、お客様と楽しいひとときをもてればいいなと願っております。

今日は、掘りごたつのしつらえのほかに、縁側にカーテンを取り付けました。ゲストハウスオープンに向けて今後は、インテリアや調度類の設営が中心になります。






ふすま、透けるの防ぐ「大福帳」

町家のリニューアルも大詰め、今日は瀬田表具店さんによって、ふすま戸と障子戸が納められました。
一昨日床板に畳が敷かれると部屋全体が明るくなった印象がありましたが、今日はふすまと障子戸が据えられると、部屋に品格と落ち着きが生まれました。
そのふすまに、これまた面白いものが隠されている、というのです。それは、昔商店などが取引の結果を筆で記録した大福帳の和紙でした。

(ふすまを据えつける瀬田さん)
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瀬田表具店さんはこの日、納品にご主人と息子さんの2人で町家へ来られました。
1階、2階の各部屋の戸口において、真新しいふすま戸や障子戸を左右に揺らしながら、戸の滑り具合を確認して納めていきました。中には、滑りが悪いところがあれば、戸の上部や下部をかんなで削って微調整を行っていました。かんなや作業を行うシートなどを持参されているところを見ると、こうした作業は日常的なものと見えました。

(納められた障子戸=左と、ふすま=右)
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肝心のふすまの柄についてですが、瀬田さんがおっしゃった通り、無地がしっくりしたと感じました(11月30日付ブログをご参照下さい)。確かに、草花などの模様があるより、無地の方が上品な雰囲気になりました。
率直な印象を言わせて頂きますと、ゲストハウスは一般に素泊まりの簡易のお宿とされているのですが、土壁やふすま、障子、畳などがつくり出す雰囲気は、かなり上質なものになったのでは、ということです。

お越しになったお客様には、このような部屋のしつらえを楽しんで頂くとともに、それに合った過ごし方をしてもらえれば、お部屋も喜ぶのではとの思いが生じました。

(ふすまの中に入っていた大福帳の紙切れ)
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さて作業中、瀬田表具店のご主人が、ビニール袋を手に、にこにこしながら私のところにやって来ました。袋の中身を見ると、紙切れがいっぱい詰まっているのです。
「これは、大福帳の紙切れで、(リニューアルする以前の)2階のふすまの中に入っていたんですよ」と瀬田さんは、おっしゃいます。
瀬田さんは、こう説明されました。

白っぽいふすまは、光を通し、向こう側が透けて見えるのだそうです。それを防ぐためにふすまの中に、下張りとして紙を入れる場合が多く、その中でも、大福帳の紙を使うことがあるというのです。
「中に入れる大福帳の紙には、字が書いている方がいいんです。黒い字の方が、光をよく遮ってくれるんです」。瀬田さんは例のゆっくりとした口調で話されました。

私はビニール袋を開けて、中に入っている大福帳という紙切れを広げてみました。
筆で走り書きしてあるため、判読しにくかったのですが、「一俵」という語句のほかに、「田中」などの名字が書かれていました。

最後の最後まで、謎めいた宝物と出くわす町家のリニューアル、その語り部(表具屋さん)ともふれあうことで、改装工事という域を超えて、味わい深い雰囲気に包まれています。











畳納まり畳店夫妻としばし歓談

ゲストハウスに生まれ変わる町家に今日、畳がすべて納まりました。いくら工務店さんら工事関係者に「ねだ板が、きれい」と褒められていても、板がむきだしの部屋は、空虚感や荒涼感は否めず。こうして畳が敷き詰められると、部屋は畳独特のにおいがあふれるとともに、見違えるほどにきれいになり、気持ちが一気に明るくなりました。
畳搬入の作業を終えた倉西畳店のご夫妻としばし歓談、ゲストハウスオープン後のことにまで話が及び、楽しいひとときとなりました。

(部屋に畳を敷き詰める倉西畳店のご主人)
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ここしばらくの不順な天候のため、倉西畳店さんは、畳の運び込みには気をもまれたようです。新品の畳を雨に濡らす訳にいかない上、軽四トラックには畳を運ぶ数にも限りがあるため、何回も往復して畳を町家に運び込まれました。

倉西畳店のご主人は、搬出時に畳と畳の間ですき間がないかどうかなど、きっちり計っていかれたので(10月27日付ブログをご参照下さい)、持ち運んだ畳はどれも部屋にぴったりと納まりました。
電話、ファクスなど通信関係の配線も歩行の妨げにならないように、線は畳の端のすき間に通すなど、上手に配置して下さいました。

(部屋にきれいに敷かれた畳)
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すべての畳を納入されてほっとされたのか、倉西さんご夫妻は、まだふとんも掛けられていない掘りごたつに足を入れ、しばし私とおしゃべりすることになりました。

畳の掃除の仕方についてアドバイスを受けました。
真新しい畳は、「泥」が付いているから、水を固く絞った雑きんでふけばいいけど、その後は乾(から)拭きしてください、とのことでした。
新品の畳に「泥」が付いているというのは、畳表の製造において、その材料になるイ草を泥染めする工程があるからです。新しい畳は、表面にほこりっぽく泥が、残っているからです。
しかし、イ草でできている畳表は、いわば生き物のようなものであり、多少水分を含んでいるため、ふだんは乾いた雑きんで、拭かれるといいということでした。

また、お茶を出した後の茶殻を使って掃除をする方法も教えて下さいました。
茶殻を畳の上にまいた後掃くと、茶殻が適度に水分を含んでいるので、ほこりが舞い上がらないそうです。

また、イ草栽培の北限と言われる小松の畳表についても話題が広がりました。イ草の栽培から始まる畳表の製造は、足掛け2年に及ぶ上、その仕事も重労働のため、後継者が激減し、「今、畳表を作っているのは、(白江の)宮本さんぐらいかな」(ご主人)ということでした。
イ草が寒冷地で栽培されることから、小松表は丈夫で長持ちするとの定評があり、高級品に位置づけられています。それが今は、生産の担い手がめっきり少なくなっており、残念なことです。

ここがゲストハウスとしてオープンしてからについても、おしゃべりすることに。
「気軽にお茶でも飲みに来れるといいね」と奥さん。
「いつでも寄って下さい」と私。
「田舎風の家の置物がうちにあるから、(町家に)持ってきましょうか」(奥さん)等々話は尽きず、外はいつの間にか暗く。
奥さんは「保育園に通う子どもを迎えに行かないと」と、ちょっとあわてた様子。と言いながら、さらに30分ほど楽しい会話は続きました。

押し入れの壁紙は「ハトロン紙」で

最近の住宅建築は、プレカット工法が主流になっているようで、工場で作った建築部材を建築現場で組み立てる方法が一般的に見えます。特に都市部ではなおさらで、子どもの時に見た、大工さんたちが柱を持ち上げ、声を掛け合って家の骨組みを作っていく姿は、もはや昔話になってしまったようです。

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そんな中で、町家の工事はそれがリニューアルと言っても、手仕事の多い工事の過程は、連続性があり(今風に言えばアナログで)、大工さんら職人の技と心が、如実に浮き彫りになるように思います。それだけに現場は、ごまかしのきかない、真剣勝負の場であると感じます。

一方、現場に居合わせると、自分が作業に関わらなくても、完成に向けて日ごとに変化していく様子は、建物と自分が一体化するような感覚が生まれます。図らずも、リニューアルという工事を行うことによって、自分を含め家族や周囲の思いや志、美意識をも注入され、町家は、第二の誕生を迎えることになるようです。

さて、今日は、押し入れの壁紙を貼り直す作業が行われました。押し入れの壁に紙を貼るのは、町家独特のものなのでしょうか。なぜ、土壁ではないのでしょうか。
それについて、現場で作業に当たった(有)嶋田工建の専務さんに聞くと、
「ふだん見えないところだから、土壁だともったいない、という考えがあるのかも」と専務さんは言われました。

壁に貼り付けている紙については、「ハトロン紙」とおっしゃいました。それはホームセンターにはなく、紙の専門店で調達してきたもののようです。
ハトロン紙とは? これをネットで検索すると、「化学パルプを原料とし、片面に光沢を付けた褐色のクラフト紙」とありました。
さらに「クラフト紙」について調べると、「引っ張り強度が強く、丈夫で破れにくい」と書かれていました。
これで、押し入れの壁紙に使われる理由が分かりました。

(市販ののりを水で薄める=左     ハトロン紙の裏面にのりをのばすなどの作業=右)
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この日は、専務さんと若手社員の2人が作業に当たり、紙を適当な大きさに切り取った後、裏面にのりを付け、1枚1枚、丁寧に壁に貼り付けていきました。

使われたのりは、市販されている「北国ラッキー糊(のり)」でした。子どもの頃、図工で使ったようなのりで、これを水に薄めた上で、ハトロン紙の裏面にのばしていきました。
材料が何かにつけ、聞きなれないものが幅を利かせている中、北国ラッキー糊という名前は、拍子抜けするほど素朴な味わいがありました。

貼り付けられた紙は、改装工事が終われば、押し入れの物陰に隠れてほとんど見えなくなるのですが、壁紙にもこだわりがあったことは、私の記憶にしっかりと刻んでおきたいと思います。