FC2ブログ

あかつき太郎の町家日記

金沢町家ゲストハウス あかつき屋をめぐる出来事や思い、人とのふれあいなどをつづるブログ。街角の話題や四季折々の風情も紹介していきます。

あかつき屋のホームページはこちらです。

防火研修 初めて消火器使いました。

金沢市消防局(市泉本町)で防火管理研修会が開かれ、参加しました。簡易宿所等(ゲストハウスや民泊等)の防火担当者が受講し、講義や消火器を実際に使用する実技などに臨みました。

実技で私は初めて消火器で消火を体験。臨場感のある研修に気持ちが高ぶりました。1時間半の講座を終えて、市消防局から防火研修「済」のステッカーを付与されました。身の引き締まる時間でした。

(研修を終え、頂いたステッカー)
1106boukacertification.jpg

あかつき屋は開業10年が経過しましたが、防火への取り組みは、日々心新たです。館内は禁煙ですが、周辺に火の気がないかなど、常に気を配っています。

今回の研修会では、初めに講義形式で担当者から過去の火災事例や防火対策などの説明がありました。また、各種火災通報機器の紹介があり、その機能や取り扱いについて手ほどきを受けました。

(各種火災通報機器の紹介もありました)
1105lecture01.jpg

この後、屋外に出て、実際に消火体験。参加者が順に、火災発生個所を目がけて、消火器で消火剤を放ちました。私も試みました。

(緊張した雰囲気の中で行われた消火訓練)
1105lesson01.jpg

消火器は、あかつき屋館内の数か所に常備していますが、これまで使ったことは、ありません。実際に消火をしてみると、緊迫した雰囲気の中、消防士さんになったような気分でした。

何事も絶対ということは、ないので、この日の体験を基に、火災の可能性を可能な限りゼロにする努力をしていきたいと思います。
市消防局の皆様、ご指導ありがとうございました。

スポンサーサイト



金沢の寺院群 専門家から学ぶ

金沢の町の性格を語るに当たって、欠かせないのが寺院群。市内には、小立野、寺町、卯辰山の三つの寺院群があり、それぞれの地域で街を特徴づけています。その歴史について学ぶ機会がありました。

私たちが加わる異業種交流グループが主催して勉強会を開催。講師に金沢城調査研究所所長の木越隆三先生を招いて、県立美術館広坂別館和室を会場に行いました。木越先生は「城下町金沢の寺院群 -曹洞宗と一向宗-」のテーマで話されました。身近な寺院群が題材とあって、興味の尽きない時間となりました。

(城下町金沢の寺院群について話される木越金沢城調査研究所所長)
0520kigoshimain01.jpg

木越先生は特に小立野寺院群について力点をおいて説明されました。小立野台は、加賀藩主の居城近くとあって、武家の仏教と言われる曹洞宗の寺院が多いこと。特に兼六園のすぐ下にある八坂付近は、寺町、卯辰山の各寺院群に先行し、金沢で最初にできた寺院群であると紹介されました。

この八坂周辺の寺院群は、あかつき屋の徒歩圏内にあり、今も観光地化されておらず、森閑とした雰囲気を残しています。ふだん前を通るだけで立ち入ることがなかっただけに、先生のお話で一層興味がわきました。

一方、農民や庶民階級に門徒が多かった浄土真宗の寺院については、領主側の統治政策という面だけでなく、門徒獲得という教団側の事情からも説明できると先生は、話されました。

(木越所長は昨年、味噌蔵町公民館でもご講演)
0520kigoshisub.jpg

今回のご講演とは別に、木越先生は昨年7月に地元味噌蔵町公民館の月金講座に招かれ、「城下町を歩いて考える -惣構と寺院群-」と題して話されています。

金沢に住んでいながら、その歴史についてきちんと学ぶ機会は、意外と少ないものです。月金講座と今回の勉強会と合わせ、地元史の知識について、多少なりとも厚みが加わったのではないかと思っています。木越先生、ありがとうございました。

4年半ぶり 初心に帰る彦根宿

お正月ムードが抜けたこの週末は、心と体の両面でエネルギーを充填する期間となりました。17日の土曜日は滋賀県彦根に赴きました。

あかつき屋を開業する前に、修業させて頂いた彦根の町家宿とばや旅館さんを訪れるためです。ここに来るのはおよそ4年半ぶり。近況報告方々お宿の勉強も兼ねてのお泊まりです。

ご主人や女将さん皆さんお元気でした。懐かしさと親しさを胸に抱き、一晩お世話になりました。

2011年1月にあかつき屋をオープンして以来、毎日が慌ただしく過ぎていきました。お宿業を勉強させて頂いたとばや旅館さんにお礼のごあいさつをしたいとかねてから思っていて、実現できずにいたのでした。
年末年始の忙しさも一段落した機会を利用して、城下町彦根に足を運んだのでした。

JRで夜彦根駅に着いた時は、雪が降っており、街は白くなっていました。その白さは、気持ちを新たにしてくれました。
夜道を歩いていき、少し迷って、とばや旅館さんに着いた時は、ほっとしました。玄関には女将さんがいらっしゃり、笑顔で迎えて下さいました。女将さんは80代半ばですが、以前と変わらず、はつらつとしていました。

(4年半ぶりに再会したとばや旅館のご主人)
0118tobayasan2 01

早速夕食を頂きました。夕食が終わる頃、会合を終えてご主人(女将さんの息子さん)が帰ってこられました。
あかつき屋の近況をお話する一方、ご主人から彦根の宿泊業界の様子もうかがいました。時代の変化は早く、彦根にも、外国人客が増えた反面、新たなビジネスホテルが近く進出するとかで、安閑としておれないとのこと。聞いていて、身が引き締まりました。

お宿業に携わる立場で、とばやさんを拝見すると、いくつも参考になる点がありました。
ローマは一日にしてならず。千里の道も一歩から。
倦まず弛まず、精進することが大切と感じました。

初心に帰った彦根の老舗宿でした。

興味深かった藩政時代の味噌蔵町校下

地元の金沢市味噌蔵町公民館で「けんろく講座」があり、聴講しました。今回のテーマは、「地域を学ぶ 江戸時代の校下の姿」。興味深いエピソードが次々と紹介され、とても楽しい1時間半でした。

ゲストハウスあかつき屋を営む傍ら、時間があればお客様を近隣にご案内することが多いので、知識の確認や習得を目的に初めてこの講座に参加させて頂きました。

(けんろく講座でお話しされる紺谷さん)
0616kouza1.jpg

講師は、古い町家が続く天神町にお住まいの紺谷啓さん(76)で、紺谷さんは、市のボランティアガイドまいどさんも務めておられます。

紺谷さんは子どもの時から地図を見るのが大好きだそうで、本講座でも江戸や明治、そして昭和30年代の地図を使って、味噌蔵町校下(校区)の様子や変遷を説明して下さいました。

(興味深かった藩政時代の金沢の地図)
0616kouza2.jpg

ここは何と言っても、前田の殿様のお膝元。現在も藩政時代には防御の役割も果たした寺院がお城のふもとに集積しており、お殿様が参勤交代で通った街道も当時の面影を少なからず残しています。

私は日常よくこの界隈を歩いているので、紺谷さんが一つひとつ示される場所が目に浮かび、その説明が手にとるように分かりました。

あかつき屋界隈のことも紹介されました。ここは藩政時代、藩主が参勤交代の際、殿様の身の回りの弁当や矢箱、提灯などを運んだ「御小人(おこびと)」が住んだので、かつて御小人町と呼ばれました。その名残は現在もあり、あかつき屋の横の太い電柱には、「御小人町」と記されています

(昭和30年代の御小人町界隈の地図。矢印が現在のあかつき屋の位置)
0616map.jpg

講座では、あかつき屋の前のお寺広済寺さんのこともふれられました。「とても歴史のあるお寺で、昔、お城の中に、このお寺があった時、おちょぼという下女がいて、毎日、井戸の水を汲みに、外に出ていました。小高いところに現在もその井戸の跡があります」と紺谷さん。
私は、その逸話については既に聞いて知っていますが、他の参加者はご存じないようでした。

現在の兼六大通りができる前の昭和30年代の地図も紹介されました。その頃から半世紀ほど経っており、街は随分と様変わりしましたが、下町人情は今も息づいており、そんな気風を心地よいものとして、毎日を過ごしています。

アートと黒壁、島歩き楽しく 佐久島-後編- 

三河湾に浮かぶ小島・佐久島が、独特の存在感をもち、島外から人を吸引しているのは、この島がアートでむら起こしをし、成果を上げたからです。
島のあちこちにアート作品が置かれ、それらは見る人の心を明るくしたり、なごませたりします。冬の日とは思えないほどに、青空が広がったこの日、島歩きはとても楽しいものでした。

(海岸に設けられたカモメのアート作品)
1214artmain.jpg

佐久島は、他の多くの離島がそうであるように、人口の減少と高齢化に悩んできました。昭和20年代まで千数百人いた人口も、年ごとに減る一方。幾たびか、島おこしの取り組みがあったそうですが、島民の気持ちがそろわなかったこともあり、軌道に乗ることはありませんでした。

その流れに終止符を打ったのは、時代が平成に入ってからでした。平成6年と8年に国土庁(現在の国交省)の支援を受けて、本格的に島おこしがスタート。
その活性化の切り口にしたのがアートでした。

(島のあちこちに置かれたアート作品)
1214art01.jpg 1214art2.jpg
1214art3.jpg 1214art4-01.png

(海岸には、おひるねハウスというアートも)
1214ohirunehause.jpg

しかし、その取り組みもすんなりいった訳ではありませんでした。若手芸術家らが手がけた現代アートは、見る人によっては、奇異に映り、違和感を覚えた島の長老らからは、反対の声が上がったそうです。

それでも、島外からのボランティアを交えた地道の取り組みが少しずつ、島の人たちに理解されるようになっていきました。何より大きかったのは、アートを利用して、長年途絶えていた、島の祭り太鼓を復活させたことでした。それは、島おこしの大きな起爆剤になりました。

島に昔から息づく伝統の太鼓。それがよみがえったのですから、アートへの理解と共感が一気に広がりました。祭り太鼓は今では、毎年10月に開く太鼓フェスティバルに発展し、島の人口の倍以上の600~700人の観光客を迎えているそうです。

景観への取り組みは、野外アートにとどまりませんでした。島の西地区では、家屋の外壁に昔から塗られていた黒色をさらに強調する形で、外壁にコールタールを塗り、「黒壁」の集落をアピールしました。

その重厚な家並みは、見る人の心の中に何とも言えない重量感を与えるものでした。今では、島を代表する景観の一つとされ、島が「三河湾の黒真珠」とも呼ばれるようになりました。

(西地区の黒壁の家並み。「三河湾の黒真珠」と言われます)
1214kurokabe.jpg

気軽な散策のようなスタイルで歩いた島めぐり。最終目的地の弁天サロン近くにある島の案内看板に、おもしろい表記を見つけました。

(案内板に「白山社」の表記を見つけました)
1214saku5.jpg

地図上の丘陵地に「白山社」の記しがされているのです。「こんなところにも、日本三名山の一つ霊峰・白山の信仰が届いていたのだろうか」

私は、案内して頂いた西尾市佐久島振興課の男性職員の方に尋ねました。
「加賀の白山は、この神社から見えるのですか」
「(白山は)ここからは見えませんね」。
「やっぱり」。

でも私の中には、不思議さとともに、どこか懐かしさとうれしさが生まれ、そんな気持ちを胸にとどめて、帰りの船に乗り込みました。