あかつき太郎の町家日記

金沢町家ゲストハウス あかつき屋をめぐる出来事や思い、人とのふれあいなどをつづるブログ。街角の話題や四季折々の風情も紹介していきます。

あかつき屋のホームページはこちらです。

4年半ぶり 初心に帰る彦根宿

お正月ムードが抜けたこの週末は、心と体の両面でエネルギーを充填する期間となりました。17日の土曜日は滋賀県彦根に赴きました。

あかつき屋を開業する前に、修業させて頂いた彦根の町家宿とばや旅館さんを訪れるためです。ここに来るのはおよそ4年半ぶり。近況報告方々お宿の勉強も兼ねてのお泊まりです。

ご主人や女将さん皆さんお元気でした。懐かしさと親しさを胸に抱き、一晩お世話になりました。

2011年1月にあかつき屋をオープンして以来、毎日が慌ただしく過ぎていきました。お宿業を勉強させて頂いたとばや旅館さんにお礼のごあいさつをしたいとかねてから思っていて、実現できずにいたのでした。
年末年始の忙しさも一段落した機会を利用して、城下町彦根に足を運んだのでした。

JRで夜彦根駅に着いた時は、雪が降っており、街は白くなっていました。その白さは、気持ちを新たにしてくれました。
夜道を歩いていき、少し迷って、とばや旅館さんに着いた時は、ほっとしました。玄関には女将さんがいらっしゃり、笑顔で迎えて下さいました。女将さんは80代半ばですが、以前と変わらず、はつらつとしていました。

(4年半ぶりに再会したとばや旅館のご主人)
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早速夕食を頂きました。夕食が終わる頃、会合を終えてご主人(女将さんの息子さん)が帰ってこられました。
あかつき屋の近況をお話する一方、ご主人から彦根の宿泊業界の様子もうかがいました。時代の変化は早く、彦根にも、外国人客が増えた反面、新たなビジネスホテルが近く進出するとかで、安閑としておれないとのこと。聞いていて、身が引き締まりました。

お宿業に携わる立場で、とばやさんを拝見すると、いくつも参考になる点がありました。
ローマは一日にしてならず。千里の道も一歩から。
倦まず弛まず、精進することが大切と感じました。

初心に帰った彦根の老舗宿でした。

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興味深かった藩政時代の味噌蔵町校下

地元の金沢市味噌蔵町公民館で「けんろく講座」があり、聴講しました。今回のテーマは、「地域を学ぶ 江戸時代の校下の姿」。興味深いエピソードが次々と紹介され、とても楽しい1時間半でした。

ゲストハウスあかつき屋を営む傍ら、時間があればお客様を近隣にご案内することが多いので、知識の確認や習得を目的に初めてこの講座に参加させて頂きました。

(けんろく講座でお話しされる紺谷さん)
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講師は、古い町家が続く天神町にお住まいの紺谷啓さん(76)で、紺谷さんは、市のボランティアガイドまいどさんも務めておられます。

紺谷さんは子どもの時から地図を見るのが大好きだそうで、本講座でも江戸や明治、そして昭和30年代の地図を使って、味噌蔵町校下(校区)の様子や変遷を説明して下さいました。

(興味深かった藩政時代の金沢の地図)
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ここは何と言っても、前田の殿様のお膝元。現在も藩政時代には防御の役割も果たした寺院がお城のふもとに集積しており、お殿様が参勤交代で通った街道も当時の面影を少なからず残しています。

私は日常よくこの界隈を歩いているので、紺谷さんが一つひとつ示される場所が目に浮かび、その説明が手にとるように分かりました。

あかつき屋界隈のことも紹介されました。ここは藩政時代、藩主が参勤交代の際、殿様の身の回りの弁当や矢箱、提灯などを運んだ「御小人(おこびと)」が住んだので、かつて御小人町と呼ばれました。その名残は現在もあり、あかつき屋の横の太い電柱には、「御小人町」と記されています

(昭和30年代の御小人町界隈の地図。矢印が現在のあかつき屋の位置)
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講座では、あかつき屋の前のお寺広済寺さんのこともふれられました。「とても歴史のあるお寺で、昔、お城の中に、このお寺があった時、おちょぼという下女がいて、毎日、井戸の水を汲みに、外に出ていました。小高いところに現在もその井戸の跡があります」と紺谷さん。
私は、その逸話については既に聞いて知っていますが、他の参加者はご存じないようでした。

現在の兼六大通りができる前の昭和30年代の地図も紹介されました。その頃から半世紀ほど経っており、街は随分と様変わりしましたが、下町人情は今も息づいており、そんな気風を心地よいものとして、毎日を過ごしています。

アートと黒壁、島歩き楽しく 佐久島-後編- 

三河湾に浮かぶ小島・佐久島が、独特の存在感をもち、島外から人を吸引しているのは、この島がアートでむら起こしをし、成果を上げたからです。
島のあちこちにアート作品が置かれ、それらは見る人の心を明るくしたり、なごませたりします。冬の日とは思えないほどに、青空が広がったこの日、島歩きはとても楽しいものでした。

(海岸に設けられたカモメのアート作品)
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佐久島は、他の多くの離島がそうであるように、人口の減少と高齢化に悩んできました。昭和20年代まで千数百人いた人口も、年ごとに減る一方。幾たびか、島おこしの取り組みがあったそうですが、島民の気持ちがそろわなかったこともあり、軌道に乗ることはありませんでした。

その流れに終止符を打ったのは、時代が平成に入ってからでした。平成6年と8年に国土庁(現在の国交省)の支援を受けて、本格的に島おこしがスタート。
その活性化の切り口にしたのがアートでした。

(島のあちこちに置かれたアート作品)
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(海岸には、おひるねハウスというアートも)
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しかし、その取り組みもすんなりいった訳ではありませんでした。若手芸術家らが手がけた現代アートは、見る人によっては、奇異に映り、違和感を覚えた島の長老らからは、反対の声が上がったそうです。

それでも、島外からのボランティアを交えた地道の取り組みが少しずつ、島の人たちに理解されるようになっていきました。何より大きかったのは、アートを利用して、長年途絶えていた、島の祭り太鼓を復活させたことでした。それは、島おこしの大きな起爆剤になりました。

島に昔から息づく伝統の太鼓。それがよみがえったのですから、アートへの理解と共感が一気に広がりました。祭り太鼓は今では、毎年10月に開く太鼓フェスティバルに発展し、島の人口の倍以上の600~700人の観光客を迎えているそうです。

景観への取り組みは、野外アートにとどまりませんでした。島の西地区では、家屋の外壁に昔から塗られていた黒色をさらに強調する形で、外壁にコールタールを塗り、「黒壁」の集落をアピールしました。

その重厚な家並みは、見る人の心の中に何とも言えない重量感を与えるものでした。今では、島を代表する景観の一つとされ、島が「三河湾の黒真珠」とも呼ばれるようになりました。

(西地区の黒壁の家並み。「三河湾の黒真珠」と言われます)
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気軽な散策のようなスタイルで歩いた島めぐり。最終目的地の弁天サロン近くにある島の案内看板に、おもしろい表記を見つけました。

(案内板に「白山社」の表記を見つけました)
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地図上の丘陵地に「白山社」の記しがされているのです。「こんなところにも、日本三名山の一つ霊峰・白山の信仰が届いていたのだろうか」

私は、案内して頂いた西尾市佐久島振興課の男性職員の方に尋ねました。
「加賀の白山は、この神社から見えるのですか」
「(白山は)ここからは見えませんね」。
「やっぱり」。

でも私の中には、不思議さとともに、どこか懐かしさとうれしさが生まれ、そんな気持ちを胸にとどめて、帰りの船に乗り込みました。

愛知県の佐久島訪問、無垢の自然に感銘-前編-

この度、所属する団体の研修で愛知県三河湾に浮かぶ佐久島へ行ってきました。人口300人足らずの小さな離島。
しかし、今は祭りとアートに出会う島として、大勢の観光客が訪れるようになっており、その存在感は年ごとにアップしています。

美しい無垢の自然に感動、地元の人らのお話も聞き、観光とは何かを改めて考える機会となりました。

(佐久島を案内して下さった西尾市佐久島振興課のお二人=中央)
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(一色港から船で佐久島に向かいました)
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愛知県は日本を代表する自動車メーカーがあることから、製造業のイメージが強いのですが、こんな手つかずの小島もあるのですね。驚きました。

佐久島には朝、西尾市一色町の港から船に乗り、30分足らずで着きました。西尾市役所佐久島振興課の方のご案内で島のあちこちを歩いて回りました。

(海岸の透き通った海の水に驚きました)
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まず一行が驚いたのは、海の水がきれいなこと。この日は、晴天に恵まれたこともあって、海はキラキラ光り、海岸べりは、底まではっきりと見えました。
「ここは、愛知県?」。そんな疑問がわくほどに、その素朴な自然に心がとらえられました。

夏は海水浴客や釣り客などでにぎわうという島。今はオフシーズンに当たりますが、それでも島の中を歩いていると、女性グループやカップルともすれ違い、ここが観光の島としてかなり浸透してきているのが分かりました。

弁天サロンという観光交流施設の前にある浜辺で、何やら作業をしている年配の女性を目にしました。近づくと、プラスチックのざるで、牡蠣(カキ)を洗っているのでした。
「どこで採ったカキですか」。思わず尋ねてみました。

(ざるで殻を取ったカキを洗う女性)
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(カキは新鮮そのもの。知り合い筋に出荷するとのことでした)
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その方、こともなげに「カキは、どこにもいますよ。ここにも」と、足元を指しました。
すぐそばの波打ち際の砂浜に、カキがいるというのです。
「この白っぽい、カキの殻のようなものが、そうなのか」。
この女性が取ったカキは、近くの岩場のものだということですが、海の幸がこんなにも身近にあることに一同感嘆。

お昼に民宿「さざなみ」さんで頂いたお魚づくしの昼食とあわせ、素朴で豊かな自然は、やはり人を大いに引きつけるものだと実感しました。

若狭小浜で学ぶお宿と観光

この週末、お休みを頂いて福井県の若狭地方にお宿の研修に行ってきました。訪れたのは、小浜の海辺の民宿「さわ」さんで、ここで一泊させてもらいました。
このほか、観光拠点施設・道の駅「若狭おばま」などにも寄り、小浜の新たな観光の息吹にもふれました。

(泊まった民宿さわさんと、女将さん)
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(民宿の前がすぐ海です)
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あかつき屋も今度の年末で、開業丸二年を迎えます。お蔭様で、国内外の大勢のお客様にお泊り頂いていますが、ここで一度立ち止まって、振り返るのも必要かと考え、初めての泊りがけ研修をさせて頂きました。

宿泊したお宿の民宿さわさんは、目の前がすぐ海で、景色がとてもよろしいところ。ここで頂いた夕食は、小浜の海の幸が盛りだくさん。
キダイ(レンコダイ)の塩焼き、天然カンパチ、ヨコワ、アオリイカのお刺身、サザエの煮物、カワハギと季節の野菜が入ったお鍋、肉厚のアナゴなどのてんぷらなどが、食卓に並びました。

女将さんは「小浜の海は魚の種類が豊富。その上、水もきれいなんですよ」と説明して下さいました。「海の水は、滋賀県の山から滲み出して、100年かかって海に注いだもんなんですよ。だからお魚もきれいで新鮮なんです」とのこと。
「大都会の海では、食べにくいボラなんかも、ここのはきれいだから、ふつうに食べるんですよ」。
そんな話しをうかがうと、どのお料理もなおさらおいしく感じられました。

お宿のご主人や女将さんからは、地元のことや、お宿のことなど、いろいろとお話を聞かせて頂きました。特に興味を持ったのは、以前このお宿のご主人は材木の商いをしていて、さらにその前は大工さんだったとのことでした。

今の民宿の真新しい建物は、昨年7月に新築されたもの。それまでは、材木商を営んでいた時の建物を利用して民宿を開いていたのでした。
聞けば、小浜は、かつては木材の集積地だったとのこと。昔、駅の近くには、木材の集積所があり、数多くの木材が集められたとのことでした。
小浜には数多くのお寺があり、歴史の町というイメージがあっただけに、また別の顔を見る思いがしました。

また、このお宿のご先祖が大工さんだった頃は、打ち身などに効く自家製のお薬を販売していたというのは、興味深いエピソードでした。

家や地域には、表には出ない物語やエピソードが、いろいろとあるのだなと、感じたことでした。

(さばトラななちゃんと、その猫をお世話する小浜市の担当の男性)
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新たな観光スポットとして、昨年3月に誕生した道の駅「若狭おばま」も、楽しいところでした。
そこには、ゆるキャラで猫の「さばトラ ななちゃん」が、お客さんに愛きょうを振りまいていました。聞けば「小浜市の公認キャラクター」であるとのこと。

ななちゃんのお世話役の小浜市の担当者の方とおしゃべりしたり、ななちゃんとふれあったりしていたら、気持ちも明るくなり、楽しい気分で帰路につきました。

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