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あかつき太郎の町家日記

金沢町家ゲストハウス あかつき屋をめぐる出来事や思い、人とのふれあいなどをつづるブログ。街角の話題や四季折々の風情も紹介していきます。

あかつき屋のホームページはこちらです。

スマホ教室に通い始めました♫

スマートフォンの使い方を習得するスマホ教室に通い始めました。場所は、あかつき屋の最寄りのドコモショップイオンもりの里店。親切な先生が指導して下さり、一時間のレッスンは有意義でした。

日頃、使わないことのないスマホ。ただ、それを適切に、効果的に利用しているかというと、さにあらず。昨年度の確定申告も終わったことから、春の行楽シーズンの前で、多少時間があり、この教室を受けることにしました。

(ドコモショップで開かれたスマホ教室)
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ドコモのスマホを使っているのは、親族や友人にNTTグループの会社に勤務する人が複数いて、日頃から何かとお世話になっているからです。

この教室は、あかつき屋のスタッフが受けて、良かったと言い、私に勧めたので受講を決めました。
初回は、「スマホを購入したら知っておきたい5つのこと」のテーマで、ドコモのスマホにあるdアカウントやdメニュー、dポイントカードなど、5つの機能について学びました。

(一人ひとり親切に教えて下さいました。)
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受講者は、持参したスマホを実際に操作しながら、これらの機能を的確に使えるように各自のスマホの画面と向き合いました。
お目当てのボタン(アイコン)が見つからないと、先生はすぐに来て、素早く操作のアシストをして下さいました。

ふだん使う、使わないは別にして、これらの機能や仕組みを知っておくことは、とても重要なことと思った次第。
今後、ひと月の間に、カメラやGoogle map、LINEなどについても学ぶ予定です。

社会のデジタル化が加速する時代。遅れをとらないよいようにしないと、いけないと思っています。ドコモショップの皆様、今後もよろしくお願いします。

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防火研修 初めて消火器使いました。

金沢市消防局(市泉本町)で防火管理研修会が開かれ、参加しました。簡易宿所等(ゲストハウスや民泊等)の防火担当者が受講し、講義や消火器を実際に使用する実技などに臨みました。

実技で私は初めて消火器で消火を体験。臨場感のある研修に気持ちが高ぶりました。1時間半の講座を終えて、市消防局から防火研修「済」のステッカーを付与されました。身の引き締まる時間でした。

(研修を終え、頂いたステッカー)
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あかつき屋は開業10年が経過しましたが、防火への取り組みは、日々心新たです。館内は禁煙ですが、周辺に火の気がないかなど、常に気を配っています。

今回の研修会では、初めに講義形式で担当者から過去の火災事例や防火対策などの説明がありました。また、各種火災通報機器の紹介があり、その機能や取り扱いについて手ほどきを受けました。

(各種火災通報機器の紹介もありました)
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この後、屋外に出て、実際に消火体験。参加者が順に、火災発生個所を目がけて、消火器で消火剤を放ちました。私も試みました。

(緊張した雰囲気の中で行われた消火訓練)
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消火器は、あかつき屋館内の数か所に常備していますが、これまで使ったことは、ありません。実際に消火をしてみると、緊迫した雰囲気の中、消防士さんになったような気分でした。

何事も絶対ということは、ないので、この日の体験を基に、火災の可能性を可能な限りゼロにする努力をしていきたいと思います。
市消防局の皆様、ご指導ありがとうございました。

金沢の寺院群 専門家から学ぶ

金沢の町の性格を語るに当たって、欠かせないのが寺院群。市内には、小立野、寺町、卯辰山の三つの寺院群があり、それぞれの地域で街を特徴づけています。その歴史について学ぶ機会がありました。

私たちが加わる異業種交流グループが主催して勉強会を開催。講師に金沢城調査研究所所長の木越隆三先生を招いて、県立美術館広坂別館和室を会場に行いました。木越先生は「城下町金沢の寺院群 -曹洞宗と一向宗-」のテーマで話されました。身近な寺院群が題材とあって、興味の尽きない時間となりました。

(城下町金沢の寺院群について話される木越金沢城調査研究所所長)
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木越先生は特に小立野寺院群について力点をおいて説明されました。小立野台は、加賀藩主の居城近くとあって、武家の仏教と言われる曹洞宗の寺院が多いこと。特に兼六園のすぐ下にある八坂付近は、寺町、卯辰山の各寺院群に先行し、金沢で最初にできた寺院群であると紹介されました。

この八坂周辺の寺院群は、あかつき屋の徒歩圏内にあり、今も観光地化されておらず、森閑とした雰囲気を残しています。ふだん前を通るだけで立ち入ることがなかっただけに、先生のお話で一層興味がわきました。

一方、農民や庶民階級に門徒が多かった浄土真宗の寺院については、領主側の統治政策という面だけでなく、門徒獲得という教団側の事情からも説明できると先生は、話されました。

(木越所長は昨年、味噌蔵町公民館でもご講演)
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今回のご講演とは別に、木越先生は昨年7月に地元味噌蔵町公民館の月金講座に招かれ、「城下町を歩いて考える -惣構と寺院群-」と題して話されています。

金沢に住んでいながら、その歴史についてきちんと学ぶ機会は、意外と少ないものです。月金講座と今回の勉強会と合わせ、地元史の知識について、多少なりとも厚みが加わったのではないかと思っています。木越先生、ありがとうございました。

4年半ぶり 初心に帰る彦根宿

お正月ムードが抜けたこの週末は、心と体の両面でエネルギーを充填する期間となりました。17日の土曜日は滋賀県彦根に赴きました。

あかつき屋を開業する前に、修業させて頂いた彦根の町家宿とばや旅館さんを訪れるためです。ここに来るのはおよそ4年半ぶり。近況報告方々お宿の勉強も兼ねてのお泊まりです。

ご主人や女将さん皆さんお元気でした。懐かしさと親しさを胸に抱き、一晩お世話になりました。

2011年1月にあかつき屋をオープンして以来、毎日が慌ただしく過ぎていきました。お宿業を勉強させて頂いたとばや旅館さんにお礼のごあいさつをしたいとかねてから思っていて、実現できずにいたのでした。
年末年始の忙しさも一段落した機会を利用して、城下町彦根に足を運んだのでした。

JRで夜彦根駅に着いた時は、雪が降っており、街は白くなっていました。その白さは、気持ちを新たにしてくれました。
夜道を歩いていき、少し迷って、とばや旅館さんに着いた時は、ほっとしました。玄関には女将さんがいらっしゃり、笑顔で迎えて下さいました。女将さんは80代半ばですが、以前と変わらず、はつらつとしていました。

(4年半ぶりに再会したとばや旅館のご主人)
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早速夕食を頂きました。夕食が終わる頃、会合を終えてご主人(女将さんの息子さん)が帰ってこられました。
あかつき屋の近況をお話する一方、ご主人から彦根の宿泊業界の様子もうかがいました。時代の変化は早く、彦根にも、外国人客が増えた反面、新たなビジネスホテルが近く進出するとかで、安閑としておれないとのこと。聞いていて、身が引き締まりました。

お宿業に携わる立場で、とばやさんを拝見すると、いくつも参考になる点がありました。
ローマは一日にしてならず。千里の道も一歩から。
倦まず弛まず、精進することが大切と感じました。

初心に帰った彦根の老舗宿でした。

興味深かった藩政時代の味噌蔵町校下

地元の金沢市味噌蔵町公民館で「けんろく講座」があり、聴講しました。今回のテーマは、「地域を学ぶ 江戸時代の校下の姿」。興味深いエピソードが次々と紹介され、とても楽しい1時間半でした。

ゲストハウスあかつき屋を営む傍ら、時間があればお客様を近隣にご案内することが多いので、知識の確認や習得を目的に初めてこの講座に参加させて頂きました。

(けんろく講座でお話しされる紺谷さん)
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講師は、古い町家が続く天神町にお住まいの紺谷啓さん(76)で、紺谷さんは、市のボランティアガイドまいどさんも務めておられます。

紺谷さんは子どもの時から地図を見るのが大好きだそうで、本講座でも江戸や明治、そして昭和30年代の地図を使って、味噌蔵町校下(校区)の様子や変遷を説明して下さいました。

(興味深かった藩政時代の金沢の地図)
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ここは何と言っても、前田の殿様のお膝元。現在も藩政時代には防御の役割も果たした寺院がお城のふもとに集積しており、お殿様が参勤交代で通った街道も当時の面影を少なからず残しています。

私は日常よくこの界隈を歩いているので、紺谷さんが一つひとつ示される場所が目に浮かび、その説明が手にとるように分かりました。

あかつき屋界隈のことも紹介されました。ここは藩政時代、藩主が参勤交代の際、殿様の身の回りの弁当や矢箱、提灯などを運んだ「御小人(おこびと)」が住んだので、かつて御小人町と呼ばれました。その名残は現在もあり、あかつき屋の横の太い電柱には、「御小人町」と記されています

(昭和30年代の御小人町界隈の地図。矢印が現在のあかつき屋の位置)
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講座では、あかつき屋の前のお寺広済寺さんのこともふれられました。「とても歴史のあるお寺で、昔、お城の中に、このお寺があった時、おちょぼという下女がいて、毎日、井戸の水を汲みに、外に出ていました。小高いところに現在もその井戸の跡があります」と紺谷さん。
私は、その逸話については既に聞いて知っていますが、他の参加者はご存じないようでした。

現在の兼六大通りができる前の昭和30年代の地図も紹介されました。その頃から半世紀ほど経っており、街は随分と様変わりしましたが、下町人情は今も息づいており、そんな気風を心地よいものとして、毎日を過ごしています。